カテゴリ:障害者・人生・自分史
昨日1月24日は初地蔵祭でした
昔の町内では、数か所で行われ 餅ほりの時間帯は、あんもくの順番があったのです 一番は、現在の熊野警察寮の下のお地蔵さん 次に当家のお地蔵さん、次に松ノ平地区のお地蔵さんと・・・・ 子供がお家に帰宅しやすい順番でした 餅をほる時間、30分前に早くもおばさん達が ![]() 5分前になると、いつの間にか30人以上の人だかり 今年も何とか地蔵祭を行い、その後の餅ほり 大勢の方が来てくれました ありがたい事です ![]() 本来は祖父の兄が本家であり、その子孫がお地蔵さん守っていく しかし、皆よそにおり、加えてお地蔵さん信仰の薄れ どうにもなりませんね 祖父の子の親父も次男(正確には四男)でしょう 親父の兄(本屋)の子孫が私より優先されるのですが これもまた、皆他所で暮らしており ※本屋の子(従兄弟)は、4人、1名死亡で3人は、東京、大阪、亀山 もう私しか居らないのです これが熊野の縮図なのです ※感激(涙)と怒り 今年、お参りに来てくれた高齢のおばさん 聞くと60年少し前に 母親に連れられお参りきた記憶がある なんかお参りに来たくて来ましたと そしてしばらく手を合わしてくれていました そんなお地蔵さん しかし、昔ですが金山小学校に お地蔵さん周辺の腐葉土と土を盗まれました 私が小学の時です 学校の花壇に入れるため、ほぼ全校生徒による運搬 私の幼心がわかりますか その時の先生の言葉、上級生の見下した言葉、 50年以上経ちますが、忘れてはいません 家で大泣き、数日後、出稼ぎから帰ってきた親父にすぐに報告 教員や上級生名前を書きましょうか 教員は全員亡くなっていますがね 上級生は生きています ※寂しい(涙) 上に書きましたが、一番の餅ほりのお地蔵さん(家は2番目) あそこの餅投げも賑わったのです 県は熊野古道としてルートにしていませんが 本来は、あそこが熊野古道の道なのです 近所の方(熊野では指折りの実力者)が守っていたのですが おこなわれなくなって30年は経つでしょうか 寂しいものです 家の地蔵さんは、古道とは無関係です しょね入れは、熊野山岳道(大峰山・世界遺産)の 位の高い山伏の方に 200年位前におこなわれたようです 鎮座場所は3回変わり現在の位置で 町民を見守っているのです 私の屋敷の近く、本家(祖父の兄)、そして現在の位置 そのお地蔵さんが、私で終わり 考えないといけませんね 本家子孫と協議が必要です しょねぬき、山伏さんの知人が居ません お寺の和尚さんに頼まないと そうならないように、続けるつもりですが? この日記を見ていると思う、愛知の息子 プレッシャーをかける気はお父さんはありませんよ お前の自由です ※リンク(知人) JE2LUZ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2020年01月25日 22時24分46秒
コメント(0) | コメントを書く
[障害者・人生・自分史] カテゴリの最新記事
|
|