そして永遠へ
今日も寒かった。(´・ω・`)1日中雨だし。野球はやっぱり中止だし。最近野球観てない(聴いてない)から、寒いせいもあって、すっかりシーズンオフ気分w 100,000年後の安全今日、時間を無理矢理ひねり出して、仕事終わってから観てきた。平日の雨の日の夕方、小規模な映画館とはいえ、10人ちょっとの人がいたから、まあそこそこ入ってるんじゃないかな…、とは思う。以下ネタバレありちょっとBGMがうるさかったと個人的には思うけど、真摯な作りのドキュメンタリーだったと思う。放射能の持つ恐ろしさの説明については少し舌足らずというか、浴びたら即ち死、というような感じで、それはさすがにちと煽りすぎだろ…、とは思ったけど。それにしてもみんな英語だったな…。フィンランド人すげー。フィンランドは今、山の中に「オンカロ」という高レベル廃棄物の最終処分場を建設中である。これは地中深くに高レベル廃棄物を貯蔵(埋設?)し、10万年もの永きにわたってこれを保管しようという、途方もないプロジェクト。「放射能が無害化できるまで」という意味合いで10万年という数字が出てくるけど、この10万年という数字に根拠はあるの?多分ないんだろうな…。プルトニウム239の半減期が24万年なわけで、10万年じゃまだ1/4も減ってない計算になるし、とにかく「途方もない時間」を表現したかったんだろう。ちなみに、原題は「INTO ETERNITY」。「永遠に向かって」とか、そんな感じになるのかな?この「INTO」が個人的にはツボだった。トンネル掘ってるわけで、その穴を通した向こう側に核廃棄物処理のゴールがあるんだけど、そのくぐっていかなければならないトンネルの長さはまさに永遠とも思える、そんなイメージがここからビシバシ伝わってくる、気がする。いや、英語苦手なんで偉そうなことは言えないんたけどw映画は、この人類未踏の世界に足を踏み入れる大工事に携わる人々に、監督自らがインタビューを取付け、その話を中心にして進んで行く。硬派なドキュメンタリーなだけあって、余計な修飾は一切なし。印象に残ったのは、とにかく「10万年持たせるんだ」と本気で取り組んでいることと、「10万年後の人類が一体どうなっているのか、極めて悲観的に考えている」ということか。ネアンデルタール人から現代まで、まだ1万年しか経っていない。ピラミッドやら万里の長城やら、ギリシアの神殿やら、こちらもどんなに長くても5,000年とかそこらだ。5,000年でも、まだ10万という数字に対しては、1/20でしかない。あああ、気が遠くなる。そして、この関係者達、地球に氷河期(天変地異や核戦争など含む)が来て、今の人類と技術的乃至は言語的に隔絶されてしまった場合のことを、真剣に考えている。「今の言葉や技術は10万年後には通用しないかもしれない。『この先高レベル廃棄物貯蔵施設につき立ち入り厳禁』と書いてあっても、それが読めないかもしれない。」彼らはそう考え、いかにこの施設が危険で立ち入ってはならないものであるのかを、非言語的にどうにかして伝えようと苦心している。イラスト(壁画)で表してはどうか、いやいや、ある種の宗教施設のように思われたらどうする?何層にもわたってコンクリで封じ込めるから、そこまで到達する技術を持つ種族ならば、今私たちが考えているメッセージだって解読できるはず、だとか。それに対して、「人が介在する可能性は、それだけリスク」という考えに基づいて「みんなから完全に忘れ去られてしまえばいい」と考える人達がいる。この施設は22世紀に完成するらしいが、完成した後は、何層にもコンクリで封印をし、穴を埋め戻し、周囲と全く変わらない風景に戻す、と。ここに何があったのか、誰も覚えていない、という状況であれば、誰かが掘り返したりすることはないはずだ、と。「ここに何が埋まっているのかを忘れ去らなくてはならないことを決して忘れてはいけない」となんだか禅問答みたいになってくるけど、そう考えている人達もいる、ということだ。お互いの立場からどっちかをやりこめようというような雰囲気はない。お互いの意見は意見として尊重し合い、どうしようか、でもまだ時間あるしゆっくり考えていこうか、みたいな雰囲気があって、そこまで切迫した感じはない。ただ、技師達が日々、黙々と穴を掘り続け、トンネルの奥で今日も発破をかける。何世代にもわたって続く、本当の国家的大事業。あくまでも粛々と、今日もトンネルは地中深く、進んでいる。このゴールが見えない問いかけに、観ているこちら側も考え込まざるを得ない。そして当然ながら答えを見つけることなどできない。フィンランドのしていることは、この先確実に増え続ける核廃棄物の処理方法として、1つの明確な答えではある。(ちなみに他では解答はまだ出ていない)だが、未来永劫続くであろう、この核の扱いに、人類は正直言ってお手上げ状態なんではないだろうか。かたや寿命が良くて100年。あちらはそれの100倍。敵う相手ではない。10万年も辛抱するくらいなら、その前に放射能を無害化できるような技術が作られるだろうし、またそれを研究して実用化すべきだ、という意見もある。おそらく、楽観的な見方で行けば、ここが1番本命に近いんだろうし、実際多分そうなるんじゃないかと思っている。(福島であれだけのことをやらかしたわけで、日本は早晩、放射能の早期除去並びに無害化技術は獲得するんじゃないか、そうなんとなくだけど、思っている。)だがしかし、現時点で実用化された技術ではない。フィンランドは実用化されていないものについては、可能性でしかなく、その可能性に賭けるよりは現実的な路線を取ったということなんだろう。人類の継続性について、とことんまでネガティヴに考え、その結果導き出した結論がこれ(永久貯蔵)なわけで、ある意味極論の具現化だよな…。でも、今はそれしか明確な答えがない、というのがまた空恐ろしさを感じさせるわけで。フィンランドの美しい自然の中で、トナカイやカモシカに見守られながら、今日も工事は進む。ひたむきに美しい風景と、暗い暗い地の底で続く、未来への停戦協議。映画の冒頭、画面が青っぽい状態がしばらく続く。「何これ?青空?」とその時は思うのだけど、映画の最後に同じシーンが出てくる。それは、発破をかけられ、瓦礫や埃が舞散り煙る坑道の中に鉱夫たちがサーチライトを頼りに入っていくシーン。この青っぽいのはライトの光の乱反射だったのか。この画面は、青空ではなく、地下深くの坑道だったのか。物凄く意味ありげ。個人的には、このような施設の存在が忘れ去られるわけがないと思っているし、10万年後の人類に向けて、情報をとにかく伝達する方法を何重にも用意しておくしかないんじゃないかと思う。10万年もの間、人がまだ人でいるならば、「ここに何かが埋まっている、猛毒らしい」と分かっても、それが何の毒なのか分からなければ、絶対に掘り返すに決まってる。人類の好奇心を舐めちゃいけない。だから、その場にメッセージを残す、いくつもいくつもデータを用意して、バックアップも何千何万と用意して、その伝達方法と合わせ、様々な場所に保管をする。国の重要なサーバ、形として博物館の貯蔵庫、液体窒素かなんかで凍らせて、地球の静止軌道か何かに乗せて、月面に埋め込んで、そのくらいしてでも、伝える努力を惜しまずすべきだと思うな…。(´・ω・)原子力について、賛成とか反対とか、そういったメッセージ性はここにはない。ただ、今も核廃棄物が増え続けていることについて、その処理の方法論の1つとしてこんなのがあるんだよ、こういうことやってるんだよ。それを示しているに過ぎない。それを観て、判断するのは私たち。私たちは、問いを投げかけられただけに過ぎない。あちらは、投げかけただけに過ぎない。ただ、この問いは、あまりにも重い。監督のナレーション、「君は」と呼びかけている。この「君」は10万年後にこの「オンカロ」を見つけた人達に対しての「君」だ。そこまでこのメッセージが保たれているのかどうか、わからない。だが、少なくともこの施設を作っている人、この映画を作った人たちは、全員、10万年後に、今このメッセージが取り上げられることを確信しているかのようだった。インタビューの最後は「10万年後の人々に何かメッセージを」だった。みんな真剣に語っていた。こういう誠実さが、原子力を使って行く上で必要だったんだろうし、チェルノブイリでもフクシマでも、足りなかった決定的なものだったんだろうな、と感じた。