テーマ:今日の出来事(287612)
カテゴリ:神奈川県の城
H29.9.16 訪城
以前に引き続き小田原城。 今回は総構えについて。 前回も載せた総構えのマップをもう一度。 出典:http://www.city.odawara.kanagawa.jp/kanko/odawaracastle/info/pamphlet 時間も限られるのでよく残っているらしい北側にだけいくことにした。 パーキングを出て道を直進し線路を超えると左手側に競輪場がみえてくる。小田原高校入り口を右折し、折り返し地点の陸上競技場の駐車場に止め歩いて向かう。 5分ほど歩くととんでもないモノが出てきた。 小峰御鐘ノ台大堀切 写真中央に写る筆者の身長は185センチである。 とんでもない空堀と土塁だ。高さ10mオーバー、幅20mはあるのではないか。 この規模の堀が本当に9キロにも続いていたとはにわかに信じがたく思える巨大さだ。 少しずつ登る平坦な地に突然現れた大堀切は尾根をかち割るためのものか。 道路に戻りまっすぐ進むと畑地帯に出る。 7〜8分歩くと稲荷森の案内板が出てくるので左折して廃屋の横を抜ける。 するとこれまたとんでもない規模の空堀が現れた。 稲荷森 中央の白っぽいところは微高地で、黒っぽいところが低地となっている。 見物台から右手に進むと、堀底に降りられる道がある。蜘蛛の巣をストックでかき分け進む。 こちらは先ほどの大堀切とは違い河岸段丘を利用したものであろうか。北側は谷になっていて、向こう側の尾根には大学があるようだ。 この空堀はなんと先ほどの小峰御鐘ノ台大堀切まで続いているようなのだ。雨が強くなってきたため撤退したがマップによると完存している。ぜひ天気の良い冬に改めて行きたい。 家に帰って写真を見直すとともに、地図と見比べてみる。 尾根を断ち切る堀切は尾根伝いに進入して来る敵をシャットアウトするためのものだ。 現在は木などが生えているため切り倒せば丸太橋として渡るのに使えるだろjkと思うかもしれないが、当時の城は木など生えておらず禿山である。橋の現地調達はできない。 ともかく山であることを念頭に置いておこう。 この画像は国土地理院の電子地図に書き加えたものである。 🔵が近世小田原城本丸であり、北条期の居館があったとされる地域。 🔴が北条期の詰城があったとされる場所。 ピンクの太線が小峰御鐘ノ台大堀切。 紫の太線が稲荷森。 居館地域は現在は線路で完全に分けられている。おそらく北側の尾根とつながっていたのだろう。この線路も堀跡の可能性があると思う。 北側の尾根には詰城がある一方で、南側の尾根も居館地域より高地にあるため失うことはできない。 こうした必然性から、総構えの西側は二つの尾根の合流する台地(御鐘ノ台)で進入を防ぐために大堀切を設けたのだろう。そして南側の尾根の南側の斜面に続いて行ったのだろう。城山(4)の下側に斜面が写っている。 総構えの北側は、詰城や居館のあった尾根のもう一つ北側を通っていたことが稲荷森でわかる。東の久野川まで続いていたのだろう。 地形図で見ることでこれだけ分かることがあるとやはり楽しい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2017.09.21 14:32:16
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