佐貫城
はじめての房総半島の城です。H30.02.18訪城佐貫城[住所]千葉県富津市佐貫582[比高]50m [アクセス]JR内房線佐貫町駅 より 鹿野山線マザー牧場・神野寺行き「牛房谷」下車すぐ[参考]「図説 房総の城郭」現状の房総半島の知識を整理すると、先端の安房を中心に里見氏が勢力を伸ばしていき、同じく膨張を続ける北条氏と国府台で2度にわたって決戦を繰り広げた、ということくらいだ。源平合戦のころは上総氏とか千葉氏とかが頼朝を支援していたイメージ。では早速城を見ていく。県内唯一と言われる石積み遺構。櫓台だろうか。なるほど近世というのもうなずけるきれいに加工された石を積んでいる。なんと廃藩まで経験しているらしい。大手道と考えられる。ずいぶんまっすぐだ。おそらくこの三の丸が近世に政庁的役割を果たしていて、先ほどの櫓台はやはり城門なのだろう。縄張り図では左手側の谷沿いに段々状の郭があるように見受けられるが、薮っている。右手側は突っ込んでも、切岸に跳ね返される。登れないこともないが、降りれない。素直に左へ。石の回廊のようなところに突き当たった。明らかに人工だよな、と周りを見渡すと右上から横堀が落ちていた。これは驚いた。どうやら一郭と二郭を隔てる空堀が落ちているよう。ため池にするには入り口側が完全に破壊されているし、うむ。回廊で突き当たったので、来た道を戻り堀切より侵入する。なかなか壮大な堀切である。右手の尾根の突端側にもわずかばかりのスペースがありそうだが、登り口や橋脚といった遺構は見られない。実戦の時には梯子で数人こもっていたのだろう。堀切を抜けると、腰郭のようなスペースに出る。細長い腰郭状の郭を抜けると、二郭に入るための虎口だ。左にカーブを描く。この虎口の前衛としての腰郭かもしれない。規模の大きい二郭。かなり平坦だし、ここにも大きな建物があった可能性もある。発掘調査を行ったという話は聞かないが、何か出てきそうな気もする。一郭と二郭を隔てる横堀に架かる土橋。左手側の堀を進むと例の回廊に落ちる。土橋の右手側には横矢が掛かるように張り出した部分が見える。本郭虎口は枡形状になっている。そしてなぜか虎口の正面に井戸がある。本郭内部も平坦だ。左に進んでいく。物見台に出ると、向こうは三浦半島だ。あちらから北条氏は西上総に侵攻してきた。三船山で合戦があったということなので、古東海道のように富津湊に上陸したのだろう。戻って東側の物見台に進むと眼下に国道127号が城の北側を横断している。この道を内陸に進むと、中世期の佐貫城があったとされる岩富寺にたどり着く。「房総の城郭」では、新旧交代説を否定しているが果たして。主郭搦手虎口を振り返ってみる。4郭はその馬出しと言える。現在はイノシシでも獲るのか、檻がある。搦手虎口は尾根の岩盤を完全に削り落としている。岩質が柔らかいのか、10m近く断崖状に削っている地形が北西側に延々と続く。富津方面や目の前の街道からの侵攻を線で防ぐためのものだろう。ここに至ってはオーバーハングしている。尾根をことごとく断ち切ったうえで、切岸を垂直にしている。これが里見氏や正木氏などの上総系城郭の特徴らしい。縄張り図を後から見ると、城内の主要部しか入っていないようだった。かなり大きい城であることが分かる。