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カテゴリ:社会
先日、東京電力において株主総会が開かれ
東電の「原発撤退」があっさりと否決された。 あっさりとというのは、事前に大株主の委任状が提出されており、 株主総会などやるまえから結果が決まっていたとうことである。 9000人を超える株主が実際に会場にきて さまざまな意見を言っても、結果は委任状をもつ東電が事前に決めているのである。 なんという茶番劇であろうか。 さまざまな意見を取り入れて熟慮した結果ならわかるが、 あれだけの事故をおこして、どうしたらあのような行動がとれるのか。 福島原発事故が終息した後ならまだしも、時期尚早ではないか。 原発事業に引き続き取り組む理由として、 「電力の安定供給」というが、 一体安定とはどの水準を満たすことなのだろうか。 原発のある状態を安定状態だとするのならば、 それは福島の反省を全く踏まえていない。 確かに原発がなくなれば我々の生活は「不便」になる。 しかし、この「不便さ」は原発があることを基準とした不便さ であることを強調しなくてはならない。 原発がないことが不便なのではなく、 原発があったことが便利すぎるだけなのではないか。 そもそも、事故処理や廃棄物処理の仕方がわからない 原発は実用化できる水準には達していない。 原発がないことが前提であれば、我々の生活は「不便」になったのではなく、 本来のまともな水準に戻っただけなのである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011年07月03日 21時10分06秒
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