子供に学ぶ
きょうは吹雪くし寒いし・・それでもちょっと出かけてベルまで・・と、思いつつその前にシピィによった。この前頼んでおいた物が入ったとの事で。で・・行って良かった。2階に上がると、ホールで何かやっている。保育園とか幼稚園児の作品展だった。三歳児から幼稚園児までの、いろんな作品が並んでる・私も今、ワイヤーでもの作りを楽しんでいるので、作る楽しみというものは解ってるつもり。子供って、とんでもなく自由なんですよ。型にはまってる子も中にはいるけど、大抵は・・何!?これ・・って言うくらい自由。見ていて羨ましい感じでした。中には、これなら部屋に飾ってもいいって思うくらいのものとかあるんですよ。只・・悲しいかな大人としてのプライドが邪魔してるからそれが言えない。色も形も、配置、バランス・・子供って良いですね。なんであそこまで自由になれるんだろ。見ていて教えられる事ばかりでした。こういう子供達が、いつしかいじめとか非行に走る。これってなんか、とんでもなくおかしい気がする。子供達の世界を垣間見て思うことは、限りなく自由だって事。それに制限を加えたり歪めたりするのは、本当は導くはずの大人達。自分の都合だけで子供の世界を制限してしまう。今から伸びようとする草木でも、型にはめられたり押さえつけられたら、本来の姿とは程遠いものになってしまう。色付きのガラスやセロファンで囲えば、色まで違った植物が育つ。子供も同じ。大きく、自由で個性ある人に育てたかったら、きょう私が見たような世界を時々でも見て、学ぶ事が大事だと思う。子供自信、教える事よりも先ず習う事を優先にしている。大人も押し付けの教育で満足してないで、自分も子供の頃にもう一度戻ってみるのがいいのかも。お母さん、教えていらっしゃるあなたがまっすぐ歩いてください。そうしたらあなたを見てそうなりたいと思うでしょう。これはイソップの言葉。口を酸っぱくして言うよりも、子供は素直ですよ・・見て学びます。もう一つ気が付いたことがある。子供の名前。最近はかなり変ってきている。もし、きょうの名前が漢字で書いてあったなら、多分殆ど読めなかったかも知れないくらい。・・・親の気持ち・・解るんですけど・・ねェ。ここで名前は書けないけど、想像もしてないくらいの変化です。羨ましいくらいカッコ良いのもあれば、少し同情するのもありますね。例えば仮名ですが、はやしだ れおって言うのがあったとします。間隔を、はやし だれおって書くと名前はだれお。こんなのもいじめに繋がりかねない。実際、もっと深く考えないと子供は苦労するかも知れないのがありましたよ。ほのぼのとした空間・・時の流れの中で考えさせられました。こんな言葉がありますね。いくつになっても解らないのが人生というものである。解らない人生を解ったようなつもりで歩むほど危険な事は無い。松下幸之助さんの言葉ですが、そう思います。解ったつもりでいても子供に接してみると、なんか自分の居る所って作り物って諭される。理屈をこねくり回して解ったふりをして、手垢だらけの論理で子供を育もうなんて、おこがましいのにも程がある・・って思い知らされた一日。人と接するのにも、同じ道理が成り立つと思う。人生・・解ったと思った時は多分、出発点にやっと辿り付いたとき。小手先だけの・・頭だけの人生は疲れますよ。余計な手間隙かけて疲れ果てるより、子供のような心でいた方が幸せかも。