…日本の文化…大好き
とうとう冬景色…って言っても、この間より少ない。今のうちに多少降らないと、良い『春』が来ないのは毎年恒例なんだけども。四駆に切り替えて…なんて言っても、大道に出れば何の事は無い。春を出迎えるのにはまだまだ足りない感じかな。下水道が完備したのはいいけども、以前の様に雪が溶かせない。以前は側溝に雪を集めておけば、風呂とか台所のお湯が流れて直ぐに溶けてしまう…って云う感じだったのに、最近はそういうのも少なくなって、天気のいい日にしか溶けない。二つ良い事は無いっていうことかな。側溝と言えば、家の近くの側溝には良い感じに落差の付いてる所が在って、上手い具合に囲まれてて…水琴窟の様な音が聴こえる。昔住んでた家の庭の隅にもかなり古いものがあった。子供の頃だから、それの良さもそれが何であるかも解らなかったけど、今にして思うと…先人の風流さっていうのかな、日本人にしか解らないであろう自然の楽しみ方の広さと奥深さが感じられます。水琴窟にはいろんなのが在るから…楽しみ方もいろいろ…かも。風流…言い回しまでいろいろありますよね…雪虫。蝉氷、淡雪とか木の目流し…風花…花冷え、花曇り。蝉時雨、青時雨…雨の月、おぼろ月…etc。俳句の季語には多いのかな。言葉は文化。日本には日本語でしか現わせないものがあり、外国にもその国の言葉でしか現わせないものがある。だから、訳さないでそのまま使う言葉も最近増えたし、新語も時代に応じて生まれてきている。それはそれで良いと思う。そうでなければ表現し切れないものもあるから当然かな。けど…言葉を疎かにしている…というか、意味もあやふやに使ってる場面をテレビなんかでも見かけるのには情けない。(私もかなりあやふやです)一般の人なら仕方ないかな…って思う事もあるけど、公共の場で、しゃべりを職業にしている人達、公の職業の人が堂々と使うのには…なんかなァ…。例えば、不惜身命という言葉を使いながら、あれやこれやと理屈をコネ回して逃げる…責任転嫁する。この言葉に但惜身命という言葉を対で使うともっと深い意味になる。(かなり前のブログで書いたと思う) 言葉を操るだけなら詐欺師でも出来ますよね。小さい子供も外国人も観ているテレビ。言葉と言う日本の文化を、大事に正確に伝えないとね。ヴォルテールの言葉を借りれば…言葉って、何かを正確に伝えるためにあるもの。人を幸せにするためにあるもの。自分を偽るために操るものじゃないから。新しいものを取り入れながらも、日本の風流さを、情緒を表現してほしいな…って感じた今日。