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テーマ:中学生日記(473)
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【織田信長】
織田信秀(父)の死後、信長は9年間続いていた尾張(愛知西部)をやっとのことで治めた。 鳴海の丘陵が信長にとって生命線→その生命線、鳴海城をあずけていた山口左馬之助父子が今川に寝返った。信長は山口父子を抹殺する。先陣を家康に命じた。(松平家の岡崎城を返還する約束で) 【今川義元】 足利一族の名門 1560年大軍を率いて京都へ上ることを決意した。“信長は路上のじゃまな石でしか過ぎない。” 信長:5千の兵 VS 義元:2万5千の兵 義元:5月18日総攻撃開始 → 信長: 尾張は風運の灯火 義元を破るためには本人を殺害するしかない。”= 可能性はゼロに近い 5月18日夜 信長は・野戦”を決意した。回りの者は・これで織田家も終わり”を確信した。 19日未明 信長は出陣し、24人を熱田神宮に集合させ兵に「命を預けてくれ。」と叫び士気が高まった。 義元:19日昼義元、決戦に備え、桶狭間の田楽狭間という小さく狭い丘陵地で休憩をとる。(そこは1000人いるのが精一杯だった) 主力は鳴海で待機中。 午後1時頃大雨が降った。=むし暑い 義元は肥満体で軽装ではなかった。信長に空間・時間・気候が味方をした。 【桶狭間の戦い】 信長:午後2時、総攻撃 → 義元、討たれた。 信長、27歳で天下にしらしめた ※勝つ公算はない戦争はしない。「一点突破」戦術 ( ソニーのトランジスタに社運を賭けた経営方法とよく似ている。東芝、日立、松下にどう勝つか。それは新しい商品の開発と独占・独走しかない。) ![]() お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年07月14日 21時26分30秒
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