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カテゴリ:奈良の歴史と文化
奈良.三輪山.大神神社(おおみわじんじゃ)
まず第一は、三輪山にあります大神神社(おおみわじんじゃ)です。 西暦182年頃、神祖「スサノオ」とその五男「大歳」が出雲より九州統治を完成させ、五男「大歳」は大和の大王として十種神宝(とくさのかんだから)を持ち大和入りを果しています。 大和での名前は「ニギハヤヒ」です。 その経路は瀬戸内海を磐船で移動して、大阪の河内の国、昨日ご紹介しています石切神社のあたりに上陸しています。 ここで大和の権力者「ナガスネヒコ」と遭い、妹の「ミカシギヒメ」を娶ります。 そして、大和平野の中で一番いい場所で、当時の大和川(初瀬川)の船便の終点でもあった三輪山の麓を政治の中心として選んだのです。 三輪山は出雲時代の「三室山」と呼んでいたようです。 その証拠に近くに「みむろ」という有名な「もなかや」さんがあり繁盛しています。 大神神社の大鳥居
大和国の一の宮。崇神天皇の代に疫病が流行し、多くの民が亡くなった。 この崇神天皇の時代、大和平野は寒冷で稲作もままならない旱魃のようです。天皇の夢枕に大物主尊が現れ、大田田根子にわが御前を祀らしめると国安らかに治まるとの神告があった。大阪堺市の辺りから大田田根子を探し出して、神主として三輪山に大三輪の神を祀らしめたところ、疫病は止み、天下泰平となった。と日本書紀にあります。 祭神 大物主神(オオモノヌシノカミ) これが冒頭で記述しています「ニギハヤヒノミコト」です。 原田常治の古代日本正史「出雲大和一族の系図」
ご神体は三輪山そのもので、三ツ鳥居があります。 拝殿前受付の神職に見せて頂きたい旨を申し出ました。神職が丁寧に拝殿裏側に案内してくれました。 父で神祖「スサノオノミコト」は出雲の熊野山が墓陵ですが五男の「ニギハヤヒノミコト」は三輪山で同じ作り方の珍しい磐座形式です。 この三輪山には、磐座が上、中、下の三ヵ所にあります。 山の頂上の奥津磐座に「ニギハヤヒノミコト」が葬られているようです。 中段の中津磐座は「オオクニヌシ」、麓の辺津磐座は、少彦名(スクナヒコナ)となっていますが、ここらは三輪山や大神神社には何の関係もないようです。 この大神神社は大きな拝殿があって、本殿がない。本殿は御陵の三輪山全体です。鳥居が三つ拝殿の後ろについていて、その後ろは山だけです。 大神神社拝殿
当時は「神」という言葉は「スサノオノミコト」の別称で「大神」という言葉は、この「ニギハヤヒノミコト」の別称でした。それで神社名も第10代の崇神天皇がそのまま「大神(オオミカミ)神社」という名で祀ったのです。現在はこれをオオミワ神社と読ませています。 大神神社は主祭神と関係のある人を祀る摂社、末社は39社を数えます。 日本一の超々大型神社です。 訪れた摂社.末社は順にご紹介します。
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