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カテゴリ:奈良の歴史と文化
写真上:大神神社拝殿 大神神社「銀竜草」 4月28日(土)西大寺塔頭「清浄院」で、イチゴ「古都華」で知り合った板倉さんの「ハッサク」のジャムを賞味し購入した。 その後、近鉄電車を利用して桜井にある大神神社大礼記念館で開講されている 今回は「倭王権と祭政分権王政」と題して、大阪市立大学文学部教授の「岸本直文」先生である。 少し早めに到着し、奈良新聞に掲載されていた珍しい植物「銀竜草」を見に、拝殿横の神宝神社あたりに
暗い林床に咲き、葉も葉緑素もない野草である。 葉緑体を持たない寄生(腐生)植物で光合成せず、菌類から養分を吸収する。
まるで「目玉のおやじ」のような不思議な植物である。 これも生きるための選択か?
処で、セミナーの内容であるが 聴講生として学んだ「寺沢 薫」先生とは卑弥呼を女王に共立しての倭国確率は西暦201年(寺沢先生は210年)とほぼ同じであるが、確立時の邪馬台国は寺沢先生が纒向遺跡あたりは弥生時代の空閑地としているのに対し、「岸本直文」先生は、大和の邪馬台国は九州の「ナ国、イト国」をしのぐ勢いであったとしている。 纒向型前方後円墳の代表格である纒向にある石塚古墳は邪馬台国(ヤマト国)の王墓となる。 どうしてこのような大きな見解の相違が発生するのだろうか? 鉄器化や、三角縁神獣鏡、土器あたりの研究の違いであろうが、考古学者が、その根拠を持ち寄り議論するパネルディスカスがあればと思う。 また「岸本直文」先生は。王墓は二系列であり 神聖王墓 箸墓(卑弥呼)→西殿塚(台与)→行燈山(崇神)→宝来山(垂仁)→ 施政王墓 桜井茶臼山→メスリ山→渋谷向山(景行)→ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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