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12月16日 自分も、赴任中最後のクリスマス・年末休みを有効に過ごすべく、いくつかの旅行を予定している。まず、クリスマス前の訪問先はドイツだ。この時期のドイツといえば、クリスマス・マーケットである。今回は、ドイツ最古のクリスマス・マーケットがあると言われるドレスデン及び、首都のベルリンに滞在する。ドレスデン及びベルリンは、いずれも旧東ドイツの都市だが、初めて訪れたのは約20年前のイギリス留学中だ。そしてドレスデンは、赴任直前の2015年5月、G7の会場となり、出張で再訪することとなった。そのときは、一年で最も日の長い初夏の時期であったが、今回は逆に、最も日の短い時期の訪問となる。
パリからドレスデンへは、直行便は無いものの、フランクフルトで乗り継いで、3時間程度で到着できる。街に着いて、早速クリスマス・マーケットに繰り出す。
まず向かったのは、最古にして最大のマーケット、アルト・マルクトだ。ここでは、広場一面に、いかにもドイツのクリスマス・マーケットらしい、キラキラと輝く屋台が並んでいる。クリスマス・マーケットといえば、定番はグリューヴァイン(温ワイン)だ。代金にはカップ代が含まれており、カップを返せばその分は返金されるが、カップをお土産として持ち帰ってもよい。これまで、ドイツの様々な都市のクリスマス・マーケットのカップを集めてきたが、このドレスデンのものもさすがになかなか凝っている。
翌日、ドレスデンの旧市街を観光した後、マイセンへと向かう。マイセンは日本でも良く知られた、世界的な磁器の生産地だ。ドレスデンからは、列車で30分強で行くことができる。妻の実家は、佐賀県の有田町で陶磁器店を営んでいる。マイセンは有田町の姉妹都市でもあり、やはり一度は訪れたい場所だ。
マイセンの磁器工場は、ショップ及び美術館を兼ねており、予想していたよりはるかに豪華だ。工房も見学することができ、ろくろによる造形から絵付けまで、各工程を職人の実演とともに解説してくれる。
磁器工場見学の後、マイセンのクリスマス・マーケットを覗いてみる。ドレスデンのものよりははるかに小規模だが、こうした小さな街のマーケットもそれなりの風情がある。行く先々でクリスマス・マーケットを訪れるのは、この時期のドイツの旅の醍醐味だ。
以前ベルリンを訪れたのは、20年近く前になる。当然、この間に街も大きく変わっている。 ベルリン中央駅に着いてまず、その大きさと、ガラスを多用した現代的な建築に驚かされる。これだけの規模の駅は、パリには皆無だ。
宿泊先のホテルのあるポツダム広場付近も、現代的な高層建築が立ち並ぶ。パリでは、新都心のラ・デファンスを除いてまず見ない光景だ。むしろ、東京の丸の内や汐留を思い起こさせる。ホテルの周囲だけでも、いくつものショッピングセンターと、おびただしい数の店がある。
ドレスデンでは、食事は基本的にクリスマス・マーケットの屋台で済ませていた。もちろん、屋台の焼きソーセージ(ブラート・ヴルスト)は、ドイツのグルメの定番だ。ベルリンでも、フードコートの軽食を梯子することとする。ベルリン名物といえば、何といってもカリー・ヴルストだ。カリー・ヴルストとは、「カレー・ソーセージ」という意味だが、ソーセージを一口サイズに切り、ケチャップ味のソースに浸けこんで、カレー粉をかけてある。いかにもB級的だが、安くて美味しく、ビールに良く合う。また、ベルリンでは、アジア系のファスト・フード店の進出が特に目立ち、2、3軒に1軒はアジア系という印象だ。質は様々だが、概して安く、日本人の口には合いやすい。こうしたファスト・フードのスタンドを梯子したり、テイクアウェイして、スーパーで買い置きしたビールと合わせてホテルの部屋で食べるのも、安上がりながら楽しいものだ。
ベルリンでの2日目は、近郊の都市デッサウへと出かける。デッサウは、あまり観光地として知られてはいないが、建築ファンにとっては「聖地」とも言える場所である。ここに、1920年代から1930年代にかけて、現代建築に大きな影響を与えた美術学校「バウハウス」(Bauhaus)が立地していた。バウハウスは、建築家ヴォルター・グロピウスによって創設され、講師陣には、ヴァシリー・カンディンスキー、パウル・クレーなどの名だたる芸術家も名を連ねている。バウハウスの校舎は今日もここで一般公開されており、周囲の関連建築と合わせて、世界遺産に登録されている。
デッサウへは、ベルリン中央駅からローカル線に乗って、1時間40分程度で到着する。駅から歩いてすぐ、バウハウスの校舎が目の前に現れる。写真では何度も見た場所だ。直方体の建物と、ガラスで覆われた壁面。今日では、それほど珍しいとは感じないデザインだが、当時としては画期的なものだった。また、バウハウスは総合的な芸術運動であり、その理念を、家具や日用品にまで及ぼしていた。美しいデザインながらも、機能性、実用性を重視した家具の数々。例えば校舎内にも、バウハウスのデザインによる革張りの椅子が置かれているが、シンプルながら非常に座り心地がよい。しかも、この椅子は現在でも生産され、購入できるのである。かつては王侯貴族のものであった芸術を、大衆の生活に取り入れようとした点で、バウハウスの理念はイギリスのウィリアム・モリスに代表される「アーツ・アンド・クラフツ」に重なる。しかし、アーツ・アンド・クラフツが、工業生産を否定し手造りにこだわったため、かえって製品は高価なものとなったのに対し、バウハウスは、20世紀の工業技術を先駆的に採り入れた芸術運動であった。バウハウスは、ナチス・ドイツの圧力により閉鎖されるが、関係者達は世界各地に散り、その理念を広めていくこととなる。このバウハウスの「聖地」を、自らの脚で歩き、体感することができるのは感慨深い。また、バウハウス校舎の近くにある、講師用の住宅群(マイスター・ハウス)も、まさに現代のデザイナーズ・ハウスといった趣で、その先進性を実感させられる。
ポツダム中央駅に着き、構内のツーリスト・インフォメーションで、サンスーシ宮殿のチケットを購入する。まだ午前中であったにも関わらず、午後の入場チケットしか取れないという。予想以上に混んでいるようだ。そこでまず、ポツダム会議の舞台となった、ツィツィリエンホーフ宮殿に向かう。ここは、20世紀に建てられた、比較的歴史は新しい宮殿だ。ガイドツアーで巡るようになっており、ポツダム会議が行われた会議場や、各国代表団の控室などを見学できる。歴史の舞台に立ち会う感慨を覚える。展示の解説からは、会談に集ったトルーマン、チャーチル、スターリンの3首脳の個性も伺えて興味深い。ドイツ人からしてみれば、自らの国土内で、外国の首脳達により、自国の扱いが議論された屈辱の場所なのではないかと想像するが、館内の展示は、淡々と現代史の事実を語る。その展示の中には、日本への原爆投下に関する記述もある。
続いて、サンスーシ宮殿を見学する。ロココ様式の華やかな装飾は圧倒的だ。いわゆる啓蒙専制君主であり、ヴォルテールなどの文化人と交友したフリードリヒ2世の、知性と美への造詣が随所に現れている。
本日の主演目は、メンデルスゾーンの「夏の夜の夢」である。「夏の夜の夢」(A Midsummer Night’s Dream)は、日本では「真夏の夜の夢」と訳されることもあるが、日本の「真夏」という感覚ではなく、ヨーロッパの6月、「夏至祭の夜」と言った方が近い。真冬、冬至に近いこの日に、真逆の夏至の曲を演奏するのは、意図的なものかもしれない。
ベルリン・フィルでは、日本人ヴァイオリニストの樫本大進氏が、コンサート・マスターとして活躍している。やはり、彼を含めたそれぞれの奏者の技術が卓越しており、それらが総体として形作る音の厚みが圧倒的だ。「夏の夜の夢」の曲中のコーラスの歌い手が、楽団の中に紛れており、そこかしこから歌声が聞こえてくる演出も、あたかも森の端々から妖精が歌っているようで素晴らしい。真冬のベルリンに、真夏のイングランドの森が出現したような感覚を覚える。 最終日、ベルリン市内を少し散策した後、パリへと帰路に就く。冬のドイツは、ロンドンやパリよりも厳しい寒さだが、やはりこのクリスマスの時期ならではの風情がある。クリスマス・マーケットのカップも、今回も4つも持ち帰ることとなり、また置き場所に苦労しそうだ。
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Last updated
Dec 25, 2017 09:45:35 AM
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