太古日本のピラミッド
太古日本のピラミッド日本には、美しい三角形の山がたくさんある。そうした山の頂に、古代人は神を降ろして神事を行っていた。エジプトには、美しい山が無かったので、日本の山を真似た人工の山を石で作った。それがピラミッドだ。 昭和9年のこと、新聞紙上を賑わせたのが、葦嶽山(あしたけやま=広島県庄原市)こそ、約22,300年前のピラミッドであるという説だった。太古日本のピラミッドを発見したのは、古代歴史研究家の酒井勝軍だった。彼は元キリスト教の牧師で、古代史研究にのめり込み、遥々エジプトまで調査に行った。酒井は、古代日本の天皇は世界に君臨していた。その神殿であるピラミッドは、日本から発祥し、エジプトに伝播したという自説を展開していた。だから、必ず日本にはピラミッドの原形がある筈だと考え、四年に渡る探索の結果、ついに葦嶽山に辿り着いたのだった。その山は見事な三角形で、それを見た酒井は、驚嘆の声を抑えられなかった。ピラミッドとしての条件は三つあり、第一に、山容が美しい三角形であること。第二は、本殿である山と、拝殿となる山があること。第三は、本殿の山の頂上に太陽石という岩と、列石があり、拝殿には祭祀に使った巨石が存在することだった。葦嶽山には、尾根続きの鬼叫山があり、そこには神殿跡のような巨石群があった。巨石の一つの岩に、表面が磨かれて光を反射する鏡石があり、これが拝殿であることは間違いなく、オベリスクのような神武石が立ち並んでいた。現在では失われてしまったが、発見当時は本殿の頂上にも列石があったことは後になっても長老達が証言した。当時酒井が葦嶽山をピラミッドだと発表すると、葦嶽山は一挙に神秘の山、聖なる山となり、謎めいたパワーは半世紀以上も人々を魅了し続けている。また、葦嶽山一帯はUFOの目撃も多い。