竹田陽一(著者)は「はがきの力」で独立に成功
◆竹田陽一(著者)は「はがきの力」で独立に成功●ヘタ字のための「電報はがき」を考案定期コミの最後は、私自身の体験談を紹介します。私は28歳の時、初めに就職した会社を辞めたのはいいのですが、あとの仕事がうまくいかず、2ヶ月ぐらい失業して経済的にひどく困りました。新聞の求人広告で企業調査会社に就職した後、ひととおり仕事の内容がわかったために、すぐ飛び込みで新規開拓を始めたのです。当時福岡に同じ仕事をしている人が230人ぐらいいたのですが、幸い誰も飛び込みで営業していませんでした。これが原因で売上げがグングン上がっていき、3年で社内の九州で1番に、5年後には日本で1番になれたのです。当時の売上高は社内平均の4倍半ぐらいでした。ちょうどそのとき、セミナーに参加したことがきっかけでランチェスター法則と出合いました。セミナーで聞いたり本で読んだ地域戦略を自分の仕事に応用したことで売上げが上がり、平均社員の5~6倍になりました。しかしその後は売上げが伸び悩みました。その原因は営業時間にありました。夕方6時を過ぎたら営業ができず、日曜や祝日も営業ができないからです。この時、どうすれば売上げを平均社員の10倍にすることができるかを何日も考え、いろんな本も読みました。その中に27歳の時に買った本で、フランク・ベトガーが書いた『私はどうして販売外交に成功したか』(ダイヤモンド社)に「もし自分が生まれ変わって生命保険のセールスをするとしたら、もっと手紙を出すだろう」という意味の文章がありました。そこで「よし。はがきを出そう」と決めました。ところがフランク・ベトガーの本にも他の本にも、どのような書き方をしたらいいかはもちろんのこと、どういう時にはがきを出したらいいかについて何も説明されてないのです。それに私はとても字がヘタで、全国ヘタ字連盟の福岡県の支部長が務まるぐらいですから、はがきを出すことにはかなり強い心の抵抗がありました。あれこれ考えていると、ふと日頃仕事で使っている「ます目型の原稿用紙」を少し縮小して、はがきの裏面全体に印刷したらいいのではないかと思いつきました。そこでさっそく知り合いの印刷会社に行き、事情を説明して原稿用紙風のはがきを作ってもらうことにしました。タイトルは郵便局が使っていた「電報」の原稿用紙にヒントを得て「電報はがき」というタイトルをつけました。「電報はがき」は、ます目の数が「98字」ですから、書くのに時間がかかりません。これはいいということで、飛び込みで面会した人や、問い合わせがあった人に出しました。字数が少ないので3~4分で1通のはがきが書けます。しかもます目に一字一字書かざるを得ないので、ヘタ字でもどうにか読めます。これは大当たりでとても人気が出、これによって新しいお客が何社もできました。しかしこれはお客と出会った時だけ出す「その都度メール」なので、出会うきっかけがない他のお客とは縁が薄くなります。そのころ私のお客は500社になっていましたから小口のお客になると1年に1回か2回訪問するのが精一杯で、油断するとお客から忘れられるようになります。事実私のお客の流出率は10%ほどになっていました。そこでお客から忘れられないようにするために、少なくとも3ヶ月に1回は、すべてのお客にはがきを出す必要があると思ったのです。しかし飛び込み営業と調査業務、さらに調査報告書を書く作業に追われて時間にゆとりがありません。●500通のはがきで売上げアップ!どうすればできるかについて考えていたある日、町内会の回覧板が回ってきました。それを見たら、隣の奥さんが、私に似た字を書いているのに気付きました。その奥さんには子供さんがなく、夫婦2人暮らしで時間に余裕があったのです。そこでこの奥さんに事情を説明し、協力をお願いしました。経済的には何不自由なかったのですが、私の話を聞いて安い費用で協力してくれることになりました。定期メールの裏側には、お客の仕事の役に立つものを印刷しておきます。例えばパクリ屋が暗躍し始めた時は「パクリ屋の見分け方15ヶ条」とか、工務店の倒産が多くなり出したら「危ない工務店の見分け方15ヶ条」という具合です。もちろんこうしたもの以外で「営業力の高め方13ヶ条」など、いくつも作りました。次に、会社の所在地と宛名を書く表面の下には3~4行の細線を引き、ここに3行ぐらいのメッセージを書くようにしていました。このはがきとお客の住所録を持っていって、この奥さんにメッセージ書きを含めて500枚書いてもらいます。そのあと私が切手をはってポストに入れるというわけです。はがきを出したあとお客と会ったりすると、「竹田さんはとても忙しいのに、一体いつはがきを書いているの」とよく聞かれたものです。その時、正直には言えないので、「休日に書いています」などと適当に説明していました。フランク・ベトガーの再度訪問式を自分流に直した飛び込み営業と地域戦略、それにこうしたはがきの力によって平均社員の7.7倍の売上げが上がりました。しかし45歳の時に会社を辞めて自分で経営を始めたことで、念願だった平均社員の10倍の売上げは達成しないままで終わりました。独立した後、特に親しくしていた社長の中から1000人の名簿を作り、3ヶ月に1回ずつ近況報告を書いたはがきを出していました。その結果1000人の方々の協力と紹介によって、3年間で和歌山県を除く全国を回り、合計で900回の講演ができました。1年間では300回です。営業マンを採用せずにこれだけの仕事ができたのは、はがきの力によるものだと思っています。 小さな会社は「1通の感謝コミ」で儲けなさい ~まごころを伝えるはがき、FAX、メールの総活用法~ 竹田陽一著より