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カテゴリ:社会
ときおり、ふと、なぜこの世界があるのか、こんなふうなのか、なんのために生きているのか、これからどのようになっていくのか、理解したいと思ってしまう。
肉体を持って、日常を生きている。 寝て、食べて、働いて、遊んで、家族、友人、同僚、その他さまざまな人とかかわり、いろんな景色を見ながら、これまで生きてきた。そしてこれからも生きていく。 こうして生きていられることに、もちろん感謝しているし、幸せだと思っている。 ただ、日常生活を送りながらも、その上のレベルから世界を俯瞰し、理解したい。 こんなふうに書くと、いかにも傲慢に聞こえるかもしれないが、そう思っている人はほかにもいるんじゃないかと思う。 日常のルーティンから離れて新しい視点を手に入れたい。 これまで見えてなかったことが見えるようになりたい。 おそらく、こういう願望があるから、多くの人は旅行に行ったり、映画をみたり、小説をよんだりするのだと思う。 ときおり、ふと、考えてしまうこんなことと、日常の現実とが、どうにもかけ離れているように感じて、考えても無駄だと思っていたこともあった。 でも最近、ようやく自分の日常と世界とのかかわりが理解できるようになってきて、大げさかもしれないけど、ぼくら一人ひとりの考えと行動によって、未来が作られることが理解できるようになってきた。 例えば、ここ20年ほどのITの発展は、人々の、「より多くのフレッシュな情報がほしい」「多くの人とつながりたい」「いいものを安く手に入れたい」などの願望によって成し遂げられたものだと思う。 よく言われているように、20世紀までは、形のあるモノが産業の中心だったが、21世紀は、それが形のないサービス、情報にシフトしてきている。 その変化の早さたるや、ここ5年だけ見たとしても、かなりの変化だと思う。 5年前は、こんなにタブレットやスマートフォンが普及はしていなかった。 おそらく、この変化の早さを目の当たりにしているから、これからどうなるのかを知りたいと思ってしまうのだと思う。 そのためには、日常の生活を超えた視点で、人間の本質とこの世界について知る必要があると思う。 ![]() にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013年06月09日 21時57分19秒
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