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カテゴリ:社会
↓生命のユークリッド幾何学における定義のようなもの、つまり証明不可能な取り決めにみえるもの
1.生命は、多様な形態(種)をとりながら、それぞれの種が存続、繁栄するように仕向ける。 2.それぞれの種に属する個体は、自分の持つ遺伝子を存続、繁栄させるように行動させられる。 ドーキンスは「利己的な遺伝子」で、生物個体は遺伝子の乗り物にすぎないとしている。 個体それぞれが生に執着し、血縁を優先して守ろうとするのは、個体の意志によるように見えるが、遺伝子に組み込まれたプログラムとも考えられる。 種は絶滅を避けるために、個体数を増やして、あらゆる環境に適応して分布域を広げる。 「1人の生命は地球より重い」 この言葉ほど、現実離れしている言葉もないのではないだろうか。 現在、地球上には70億人以上が暮らしていて、毎日、いとも簡単に多くの人の生命が消えていく。 この現実を見ると、自分の存在がどれだけ小さいかを思い知らされる。 それにも関わらず、自分のことになると、この言葉を信じ、自分は唯一無二の尊い存在であり、生き続けたいと思ってしまう。 多くの個体がそう思っているから、人間という種が存続しているのだろう。 少しでも自分が価値ある人間であると多くの人間に認めてもらいたい。 自分の生き方を認めて欲しい。 自分の生き方、考え方を広めて後世に残したい。 こういった、生き方、考え方もある意味、遺伝子と考えられる。 本当は、不老不死で生きつづけたい。 でも、それができないから、自分が生きた証を何かの形で残したい。 こう思うのは、自分の意志のように思うけど、遺伝子のプログラムのようにも思える。 多くの人間にとっては、それが子どもなのだろうけれど、人によっては、仕事だったり本だったり音楽だったりする。 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013年07月16日 00時18分47秒
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