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カテゴリ:社会
昔、精神世界の本で、魂の世界とは、潤沢の世界であり、欲しいものは何でも手に入り、願ったことは即座に叶う世界である、ということを読んだ記憶がある。
人類の歴史を見てみると、技術の進歩とともに豊かになり、人口が増加してきた。 産業革命以後、科学技術の発展とともに人口爆発といわれるばかりに豊かさと人口が増大している。 産業の発展により、衣食住の欠乏の世界から解放され、インターネットの出現により、教育、文化、娯楽の世界にも潤沢の世界が実現しつつある。 インターネットの出現は、人々の関心を、モノから気持ちや感情に移動させているように見える。 本やCDなどのメディアもかさばる物質としての形から、電子データのようにかさばらない形になり、それゆえにコストが下がり、潤沢の世界が開けてきている。 プラトンは、「肉体は魂の牢獄である」といった。 人の魂はイデアの世界から肉体に閉じ込められているのであり、人は、イデアの世界を知っているからこそ理想を追い求める。 昔の修行者の中には、修行とは、肉体を痛めつけることによって、魂を解放することであると考えるものもいたらしい。 ぼくの父親は、よくこういったことを話していた。 インターネット後の世界は、情報において潤沢の世界をもたらした。 そして、体ってなんなんだろう。って思う人もいるかもしれない。 体があるために、衣食住が必要であり、病気になったり、けがをしたり、容姿で悩んだり、、、体が物質の制約を受けるために不自由であり、不幸である、と。 もし、体がなければ、そんな物質の制約から解放される。 これから、そんなことを本気で考える人も出てくるかもしれない。 もし、脳だけを培養カプセルに入れて、人格を保ちながら生きていけるサービスができたとしたら、それを望む人は実は結構いるんじゃないだろうか?なんか映画マトリクスみたいだけど。 しかも、その培養カプセルでは、思考を補助するために、無限の演算装置(CPU)と記憶装置(ハードディスク)と作業領域(メモリー)が使えるとしたら、その人は一体何を生み出すのだろう? さらに、その培養カプセルでほかの人たちとつながり、共同思考をしたとしたら、どんなイノベーションができるのだろう? 体はないけれど、脳を刺激することにより、あらゆる快楽を手にすることもできる。 肉体を牢獄と考えた昔の修行者の願いは、あるいは、こんな形で実現されるのかもしれない。 体を放棄できないとしても、皮膚に葉緑体を埋め込んで、人間も光合成ができるようになれば、食料問題から解放されるかもしれない。 こんな未来が実現するかわからないけれど、そして、これがいいことなのかもわからないけれど、ぼくには、これからの世界が、物質の制約から逃れて、潤沢の世界を目指すように思える。 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013年10月02日 23時26分34秒
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