カテゴリ:ブログ小説
人間というものは、闇の中に身を置くと、こうも過去の出来事が次々と浮かんでくるものなのかと思った。
それは前方の闇に蠢く二つの影を認識しているだけにすぎない視覚的刺激の単純さ故なのであろうか。それとも夢を見ることや臨終の際に過去の出来事が走馬燈のように浮かぶということと何か関わりがあるのだろうか。 通りに点在する街灯の明かりの輪から外れた闇の塊。その中に自動販売機の光りだけがぼーっと浮かび上がっていた。 闇の続きとも自動販売機の影とも区別つかない辺りに“奴ら”は明らかに潜んでいる。 男は自身も闇と同化させながらそれを見据えていた。 1 今時レッド・ツェッペリンやディープ・パープルは流行らないと彼自身も分かっていた。しかし、自分を音楽に目覚めさせてくれた70年代ハードロックを演(や)る事が、彼には自慰的行為に斉しく止められないものだった。 彼のがなり立てたるようなヴォーカルは、眼前を行き交う人々の好奇心を損なわせるのに十分なものだった。誰もが一度は視線を向けるが、すぐに顔を背けてしまう。俄に失笑する声もあった。「関わりたくない」そんな素振りさえみせる者もいた。 Tシャツと、破れたジーンズの上下に、汚れた白いスニーカー。茶色に染めた髪はやや長めだが、長すぎもせず、ツンと立たせてもいないので、ハードロックをやる感じにはあまり見えない。痩せていて、どことなく幼さが残る雰囲気も、ハードロック向きではないかも知れない。 愛用のギブソン・レスポールは傷だらけで、骨董的価値があるのでは?と疑われるほど、うす汚れていた。二年前に、アルバイトを重ねてやっとの思いで手に入れた中古品だった。 思えば、それから一日たりともそれを手にしなかった日はない。 ジミー・ペイジやリッチー・ブラックモアのギターソロをしゃにむにコピーして、左手の指には何度もマメができては消えていった。 ジミー・ペイジのように、くわえタバコでギターを弾くスタイルにも憧れた。だが、それだけは何度やっても噎せてしまって駄目だった。格好の良さだけはコピーできなかったのだ。ただ、彼のギターテクニックだけは満更でもないレベルとなっていった。 そのギターと繋がった小さなアンプが一生懸命うなりをあげ、彼と一緒にリフを唄い周辺に反響させていた。 その懸命のパフォーマンスでも彼を取り囲む輪が出来るでもなく、人々の流れはその通りの一部を蛇行していた。 ただ、ネオンに紛れて存在感のなくなった月だけが、アーケードの切れ間から彼を見つめていた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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