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坂ノ下田村麻呂のブログ

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2006.09.29
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カテゴリ:SLに関すること
第三只見川橋梁 只見川第三橋梁

1926年10月15日に会津若松駅~会津坂下駅間で開業した会津只見線は、1928年11月20日に会津柳津駅まで延伸開業されました。その後は、13年間の工事期間を費やして難工事を
克服して、1941年10月28日に会津宮下駅まで延伸開業されました。

一方新潟県の小出駅からは会津に向けて同様に敷設工事が行われて、1942年11月1日に小出駅~大白川駅間26.0kmが開業されました。
会津宮下駅からは、更に只見川本流を跨ぐ「只見川第三橋梁」「只見川第四橋梁」の長大橋や
「滝ノ原トンネル」(全長1026m)・「早戸トンネル」(全長980m)の長大トンネルの
難工事があり只見川に沿った山峡区間での難工事区間であったために、会津川口駅までの開通には
15年間の工事期間が必要であったようです。この工事期間中には、太平洋戦争が勃発していて、
戦争中の鉄道敷設工事は中断されていた事も工事進捗に支障となっていたようです。
上部画像でお分かり頂けると思いますが、「只見川第三橋梁」は急峻な山峡部分に掛かっていて、
鉄橋を渡ると直ぐに「滝ノ原トンネル」に突入して行く状況からも、いかに難工事であったか推測
できると思います。

只見川第四橋梁只見川第四橋梁

「只見川第三橋梁」を渡り「滝ノ原トンネル」と「早戸トンネル」を貫けて只見川右岸を暫らく進むと「只見川第四橋梁」となります。
太平洋戦争終結後は延伸工事が再開されましたが、今度は戦後日本の経済復興の基盤である電源開発事業が盛んに行われることとなり、只見川に於いては「田子倉ダム」建設計画が立てられて、会津只見線に大きな使命が負わされる事になるのでした。「田子倉ダム」建設用資材の物資輸送のためにも、只見までの早期完成の必要性が出てきたのでした。そうして、1956年9月20日に
「会津川口駅」までの延伸開業となったのでした。

★1926年10月15日:会津若松駅~会津坂下駅間(21.6km)開業
    (途中駅)西若松・会津本郷・会津高田・新鶴
★1928年11月20日:会津坂下駅~会津柳津駅間(11.7km)延伸開業
    (途中駅)塔寺・会津坂本
★1934年11月1日:(途中駅)七日町・根岸・若宮を新設
★1941年10月28日:会津柳津駅~会津宮下駅間(12.1km)延伸開業
    (途中駅)郷戸・滝谷・会津桧原・会津西方
★1942年11月1日:小出駅~大白川駅間(26.0km)開業
    (途中駅)越後広瀬・越後須原・入広瀬
★1956年9月20日:会津宮下駅~会津川口駅間(15.4km)延伸開業
    (途中駅)早戸・会津水沼・会津中川

*次回は、只見駅までの歴史を綴ってみます。





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最終更新日  2006.09.29 06:55:07
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