政党乱立、そして収斂、その先にあるものは?
一時はどうなることかと思った。 なにせ最も多い時、といっても先週のことだが、国会に議席を有する政党助成法上の政党が15くらいあった。 「くらい」と書いたのは、あまりにも目まぐるしくて正確に追い切れなかった。 素朴に思うのは、小選挙区制度は2大政党化するはずじゃなかったっけ?ってこと。 現在の「小選挙区比例代表並立制」が導入されたとき、「中選挙区は金ばかりかかって古い制度だ。アメリカやイギリスのように成熟した民主主義、新しい政治にするためには小選挙区制度にするべきだ」とか、「小選挙区制は政権交代が可能になる。国民の選択が直接的に反映される制度だ」といったことが声高に言われていたことを思い出す。 たしかに「政権交代」はしたが、これだけの政党ができる背景には、民意の多様化を吸収しきれないことと、民主も自公も政策的な面で決定的な違いが見えないことにあるのだろう。 どうやら総選挙は、10程度の政党が候補者を擁立するらしい。 そのすべての政党が300の選挙区すべてに候補者を立てられるわけではない。事実、我が上尾市を含む埼玉県第6小選挙区では噂されていた「維新」の予定者は出馬を断念した。 つまり、個々の選挙区を見れば選択肢は必ずしも多様に用意されているわけではないということ、だ。 なにか、マクロな報道で、まるで国民の選択肢が多くなったかのような気がするが、自分が住んでいる選挙区を見れば、前回とほとんど変わらない選挙となる。 「維新」予定者の断念で、民主現職はホッとしたことだろう。 さてさて…。 民主党と野田首相は必死に脱原発を実行すると街頭で演説しているようだし、自民党と安倍総裁は、原発問題を何とか争点にしないように、民主の政権担当能力をやり玉に投げようとしている。 民主の脱原発論は2030年代にすべての原発の稼働を止めるというもの。2030年代ということは2040年まで含まれるのだろうから、あと28年間もある。そんな先のことを約束できるのだろうか。わずか3年前のマニフェストの中心的な政策すら守れなかったのに。 自民党の原発維持論はそれ以前の愚かな主張だ。安倍氏は以前首相だった時に「KY」と言われていたことを思い出した。 民主党の「脱原発論」は稼働停止まで28年もの時間がかかることから本当に実施されるのか信頼は全くないが、それでも国民の空気を感じればこれくらいのことは言うのだろう。 ところが、自民党は千載一遇のチャンスかもしれないのに、相変わらずの「KY」ぶりだ。普通は失敗から学習するのに、ね。 そうか、安倍さん自身は失敗したと思っていないのか…。何でも新しい薬のおかげで治った「腸炎」のために退陣したんだった。 「KY」…。2007年の「流行語大賞」の有力候補だったことを思い出す。 原発の問題で最近思うのは、福島第1原発周辺の惨状や立地の断層の評価といったことも重要な問題だが、原発を稼働させることで作られるいわゆる「核のゴミ」をどうするのか、ということ。 「核のゴミ」とは使用済み核燃料のことだけではない。再処理の過程で出る廃液や作業員の衣服、その除染に使った水、なによりも原子炉そのものもが「核のゴミ」となる。 今日現在最終的な処分方法は決まっていないし、その目処もない。しかも有力な方法である地層処分だって、再処理と群分離と核種変更消滅処理の技術が確立しても少なくとも数百年の監視が必要とされるし、消滅処理の技術が確立されなければ数万年の監視付の保管が必要となるとされる。 こんな事態になることなのに、目先の経済を優先して「再稼働」なんてあまりに無責任すぎる。少なくともこれ以上の「核のゴミ」を出さないことが先決だ。原発の再稼働とはとんでもないツケを将来に残すことに他ならないのだ。 その意味で、即廃炉以外の選択肢はありえない。今日現在の人類の力では原子力は「営業レベル」で管理することが不可能だということははっきりしているのだから。 「卒原発」を掲げた「日本未来の党」だって今後10年をかけて、ということなのだが、停止原発の再稼働や、現在建設途上の青森県大間原発をどうするのかといったことはまだはっきりしない。 脱原発の旗を降ろした「日本維新の会」も論外だろう。せっかくのチャンスを石原氏との目先の連携を優先したがためにつぶしてしまったのだろう。 そう考えると「みんなの党」も埋没してしまい、あれれ、民主と自公が有利になるのかな。 即時原発廃止を掲げているのは社民党と共産党だけらしいが、いかんせんこの2党には国民の支持を得る基本的な「力量」がない。 妻の日々の努力を見ているとなんともやりきれず残念なのだが…。 私は野田民主にも安倍自民にも対峙する明確な主張は「即時原発廃止」しかないと思っている。 福島の人たちの現状を考えれば、彼らの苦しい毎日は、大地震と津波といった自然災害がもたらしたものではなくてすべて人間が、政治が作り出したものだ。 なぜ家に帰れないのか。 なぜ子どもが外で元気に遊べないのか。 その理由はただ一つ原発が存在しているから、だ。 消費増税を唱えた政治家やテレビによく出ているような「評論家」や「経済学者」たちがことあるごとに言っていた言葉に「将来にツケを残さない」というものだった。 だけどね、財政なんてものは所詮人間が作り出した「仕組み」の問題であってそれ以上のことはない。特に日本のように国債の7割が国内で引き受けられているような国は、ギリシャや古くはアルゼンチンのように外貨準備不足での財政危機と違って、お金が足らなくなったら刷ればいいじゃないか、と思う。 そうなったら「ハイパーインフレが起きて日本経済は壊滅する」という意見もあるが、今はむしろ「デフレ」なんでしょ。 つまり、「将来へのツケ」というが、所詮この程度のことではないか。「核のゴミ」を将来にツケ回す罪深さに比べれば何のことはない。 政党が乱立したが次第に収斂しつつある。 選挙の中心的争点は「原発をどうするか」ということだが、この問題は「核のゴミ」を極力将来にツケ回さない道を選択することが最善なのだとつくづく思う晩秋の昼下がりなのでありました。