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奮闘する「大器晩成」日記

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August 18, 2006
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カテゴリ:日記
 夕方からは高等学校の校友会でお世話になっている先輩達とお盆を過ぎたのに「暑気払い」と称して久しぶりに飲んだ。話題はさまざまあるが、1つまったく話題に上がらなかったのは、「甲子園」だ。何でも24年ぶりに早稲田“実業”がベスト8に進出したというのに・・・。

 そうなのだ。我が母校は早稲田高等学校であって、早稲田実業でなければ、早稲田高等学院でもない。よく世間の人には間違われるが、この3つの学校はまったく別のものだ。我が母校は今でも早稲田大学の隣にあるが、以前は道路を挟んだお向かいにあった早稲田実業は今では国分寺にある。だから今回は西東京代表として甲子園に行った。

 我が母校早稲田高等学校は、1895年に旧制早稲田中学として開校した。早稲田大学の前身である東京専門学校は1882年に開校したが、早稲田大学と名称変更するのは1902年のことだから、我が母校が、もっとも古くから「早稲田を名乗っていた。いわば「元祖わせだ」ということになる。ちなみに早稲田実業の開校は1901年だそうだ。

 だが、世間的な知名度はそれほど高くない。私が高校1年のときに早稲田大学との正式な継続化をするまでは、まったくの自主独立であった。早稲田大学の建学の精神「学問の独立」に対し、我が母校は「人格の独立」を掲げていて、まさにそれを実践してきたといえよう。

 そんな「プライド」の高い学校の先輩達が、甲子園の話題に触れようはずもない。

 さて、早稲田実業のベスト8進出が24年ぶりということは、我々の年齢42歳引く24年ということは・・・。なんと18歳のとき?ということは早実は荒木大輔投手の時代以来ということだ。

 あのころの騒ぎと行ったら大変なものだった。地下鉄早稲田の駅ではお目当ての早実野球部員を待つ女子高生で、毎朝ホームはごった返していた。我々早高生はそれを横目で見ながら学校へと急いだものだ。そりゃ当然うらやましかったですよ。

 あれから24年かぁ。まさに青春時代だったなぁ。





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Last updated  August 19, 2006 08:06:52 PM
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