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テレビを見ていたら、瀬戸内寂聴さんが出演していました。
いじめについて、「いじめは相手の気持ちを思いやることができないこと、つまり、相手の気持ちを想像することができない、想像力の欠如した状態なんだ」とおっしゃっていました。 それをきいて<パウダー>という映画を思い出しました。(ハリウッド製) 主人公は繊細で、純粋できれいなこころをもった青年でしたが、生まれつき肌の色が真っ白で、頭髪がなかったので、周囲の人々に差別され、いじめられる存在でした。パウダーとよばれ蔑まれていました。 彼はサイキックな力があり、いじめられて感情が高ぶると、その力を使ってしまい、いじめた相手を手ひどく傷つけてしまう事もありました。 ある日、地元の警察官(パウダーをいじめている)が小鹿を銃で撃って殺してしまいました。当然その警官はなんとも思わないわけです。しかし、それをみたパウダーは非常に悲しみます。小鹿を抱きかかえ警官に怒りの眼差しを向けたとたん、その警官はフリーズし、一瞬その恐怖に満ちた眼は虚空を見つめ、フリーズが解けた途端、大声で泣き出しました。 何が彼をそうさせたのでしょう? それは、パウダーがサイキックパワーで、その警官に小鹿がねらいを定められ、撃たれたときの恐怖を体験させたからです。警官は体験することで小鹿の気持ちがどのようであったか、理解したのです。一瞬のうちに! この警官はこの後、パウダーをいじめるのをやめ、味方になったのです。 たしか、オーストラリアの刑務所だったと思いますが、こちらはサイキックパワーではなく、瞑想で犯罪者(強盗殺人)を誘導し、自分が殺した相手になる、ことを体験させたそうです。 結果、この犯罪者も泣き出し、自分の犯したことの罪の深さを真に理解し、その後は人間性豊かに生き始めたそうです。 私たち人間は想像ができる唯一の動物だ、といわれています。いろいろなことを“想像”します。 想像することから、私たちはここまで進歩してきました。 しかし、瀬戸内寂聴さんは〈想像力の欠如〉といいます。それは、こと人間関係においてこの想像力を使えない、または使わない、ということなのではないでしょうか。 相手の身になりなさい!とはよくいわれることですね。でもそれは外側から相手をみている視点です。私が提案したいのは、嫌な人や苦手な人その人自身になってみる、ということです(想像力を働かせて・・・) なにかが変り始めるはずです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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