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カテゴリ:【教育】に関わる単語
最近は“ファミリー”などと可愛らしく表現したりする場合もあるが、よくよく調べると、むさ苦しい野郎の集まりだったりする。もちろん“欽ちゃん”みたいなファミリーも未だ存在するのだが。と言いつつ欽ちゃんファミリーが可愛いとは毛頭思わないのだが。
俺には子供が都合四人も居る。結婚が早かったので、上の三人は全員大きい。しかも、一番上の長女は本年度で高校生活もピリオドを打ち、社会人として来期からは過ごす事になった。 家族という形態の晩年は悲しい。離脱者が出てくるからだ。その事由として“死去”は当然悲しい。しかしながら“生き別れ”は、命ある限り引き摺る問題なので、これも有る意味非常に悲しいものだ。 今回の長女の就職決定により、往く先において独立し、独り暮らしを始めたとしても“別れ”というよりは“社会への旅立ち”的なポジティブに捉える事も出来るので、逆に嬉しかったりもするのだろう。 しかし、女の子の場合は“結婚”という離脱の形態があるのだけれども、今はまだ考えたくないし、イツになるやも分からないので触れないでおく。 問題は“息子達”の方だ。 奴等には前々から“男なら自分の力で独立しろ”と訓えてきた。長男などは、あと二年間で進路を決めなくてはならない。我が家の家訓には“18歳を過ぎれば何をやってもよい”という条項と“18歳を過ぎれば、全ての責任は本人が対処する”と“18歳を過ぎれば、全ての意味において独立しなければならない”という条項が存在する。 だから、勉学に勤しみたく大学に行くのならば、自分の力で学費なり家賃なりを捻出し、自由にやればよい。 社会に出たかれば、自分の収入にて独立した生活を営み、責任をもって生きていけばよいのである。要するに息子達は学生であろうとも、独り暮らしであろうとも【息子の一家】を背負う事になるのだ。 その場合においては【たら一家】に対する往来は自由であるし【たら一家】としてバックアップもするつもりである。 但し【息子の一家】が【たら一家】に対し“不義理”を行えば、その限りではない。例えば【たら一家】のメンバーに多大なる被害を与えた場合、俺は【たら一家】の代表として【絶縁】を決断するつもりだ。 男が社会に出て独立するのは厳しいのだ。頑張れ息子達。不義理がない限り、君達は俺と肩を並べた【代表同士】だ。 そして娘よ、本当におめでとう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005/11/04 06:14:04 PM
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