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カテゴリ:【教育】に関わる単語
俺はガキの頃から可愛げがなかった。
大人が子供に対して求めるものは“素直”“笑顔”“愛嬌”だが、尽くなかった俺は【演技】と云うわざをもってして、大人の要求に応えていたのだ。 しかし、どうなんだろうか。 幼少の頃から“素直”“笑顔”“愛嬌”が出来ない人って結構居るように思えてならない。子供の全部が“天使”ではないのだ。 だから、俺みたいなタイプ、すなわち“素直”“笑顔”“愛嬌”が出来ない人達は一体どのようにして、ステレオタイプな親や大人達の要求に応えていたのだろう。 やはり【演技】で乗り切っていたと思う。大人になるまで。 俺が通っていた幼稚園は“催し物”が好きな幼稚園だった。時にはネズミの格好を無理矢理させられて、それを見守る“大人達”の前で可愛く笑顔を作りながらキメのポーズを取らされたり、膨大なヤクルトの空き容器で製作させられた“船”の上で「エイエイ・オー」などと叫ばされたり・・・ その度、俺は「こんなガキみたいな事出来ないよ」と思いながら、その“催し物”を心底忌み嫌っていた。だから“催し物”の開催日が近付くにつれブルーになり、今すぐ逃げ出したい気持ちでいっぱいになった。 果して子供は“天使”なのだろうか。 よく子供の“無邪気”な姿を見て“可愛い”などと大人は言う。邪気が無い、その姿は確かに純心だ。曇りひとつ無く透き通っている。 また、この“無邪気さ”をいつまでもなくさない様、大人達は願ってたりする。 だから“無邪気”な人には敵が少ない。ネズミの格好が嫌で、わざと衣装を破いてステージに立てなくなるように、小細工するガキより、素直に「ちゅうちゅう」などと発声し“無邪気”にステージを駆け回るガキの方がよっぽど可愛いのだろう。その際に多少飾り付けのステージセットを壊そうとも、そこは“ご愛嬌”、、、だ。 意外と“無邪気な人”になるのは簡単なのだ。 要するに“何も考えず”“思い付いた事”を行動にすればよいのだ。多少の行き過ぎた行為は“可愛さ”がカバーしてくれるので大丈夫。いや、その行動が逆に可愛いらしさを協調するスパイスになってくれて一石二鳥だ。 そんな“無邪気”で“可愛い”人が大きくなっている。大人達が望んだとおりに“純心”なままで。 その“無邪気”な人達は“純心”に“親に毒を盛って、その様子を観察”したりする。はたまた、その“無邪気”な人達は“純心”な自分の気持ちを理解してもらえなかった相手の顔や頭を“無邪気”に五十数回、刺したりする。 大人達に問いただしたい。 本当に“素直”“笑顔”“愛嬌”だけで良いのか。 大人達に問いただしたい。 本当に【演技】する子供達は邪悪なのか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005/11/15 03:43:45 PM
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