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カテゴリ:【教育】に関わる単語
俺の【停学】歴の第一号目は中学一年の一学期、しかも入学して一週間位の時なんである。以前にもどこかで書いたような覚えがあるのだが、理由は“キセル”なんである。
神戸電鉄の駅員にバレたのだが、入学して一週間で【停学】処分になったヤツなんて前代未聞な出来事だったみたいで、学校や教諭からはこっぴどく怒られた想い出がある。ちなみに【停学】期間は無期だったのだが、結局は初犯だったので一週間だった。 それからの【停学】歴は以外と少ない。中学二年の時に私事による不登校が1カ月続き、それを教諭に打ち明けた時に、その期間を【停学】期間として処理して貰ったことを除けば、中学3年の時に落第して同級生となった友達と一緒に大阪・梅田の楽器屋でイザコザに巻き込まれた際、警察に連行され、学校に通報された時くらいだ。 高校になってからは【停学】理由の定番である喫煙、無免許なんかで各一回と親友が【停学】になっていた時にソイツを連れ回して遊んでいたのがバレて一回だ。幸い、我が母校は不純異性交遊については寛大で、これについては厳重注意を受けたくらいで御咎めなしだった。 それから俺も社会人となり、そして人の親となったのだが、その子供達は長女の万引き事件での【停学】処分以外に【停学】を喰らったヤツは居ない。次男なんてのは家裁まで出頭するくらいの悪事を仕出かしたのだが【停学】にはならなかった。何故かと云うと現在社会に於いては指導よりもガキのプライバシーの保護の方に重きを置くので、補導歴や検挙歴などの個人情報を学校などの他に漏らさないよう警察が配慮するからなんである。 俺がガキだった頃の時代では“ガキ個人のプライバシー保護”なんてのは皆無だった。それこそ、そのクソガキの補導歴や検挙歴などの個人情報なんてのは教諭や警察官の共有データであって“ガキ個人のプライバシー”なんかよりも更生させる事に重きを置いていたのだ。 俺は“ガキ個人のプライバシー”なんてのは、それが私情の問題で、それにてガキが心共に迫害を受ける可能性がない限り“必要ない”と思っている。言い換えるならば、ガキを社会人にまで育て上げる間は“ガキ個人のプライバシー”の保護なんかよりも“育て上げる”方に重きを置くべきだと考えているのだ。 現在では、何よりも個人の自由や思想なんかが優先される時代だ。そして、それを保護するためにオトナが躍起になる。 でも、人間は独りで成長できるものではない。周りの影響を受けながら、それを糧に育つのだ。“ガキ個人のプライバシー”を保護すると云う御題目で、ガキを隔離してはならないのだ。そして、もっと大切なのがガキを過保護なまでに外敵から守らない姿勢なのだ。親の保護と云う名の無菌室で育ったヤツは一生無菌室から出る資格はないのだ。ガキなんてのは泥にまみれてナンボなのだ。 これが俺の子育てポリシーなんである。 中学に入学して一週間位で【停学】処分を喰らったようなヤツに教育を語る資格はないのだろうけれども。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006/09/26 11:35:31 AM
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