577ページ【和姦】 男女が合意の上でセックスを行うこと
久々の更新なのに、いきなり旅の友が【和姦】なんである。しかしながら、この様な馬鹿さ加減が俺の俺たる所以なんであるからして、この選択は致し方ないのであるのだ。さて【和姦】であるのだが、俺は【和姦】を行った回数は、はっきり云って相当の回数である。それこそ両手・両足の数なんてのはプレリュードなくらいの勢いであったのは事実であるからして仕方がない。・・・と、まぁヒンシュクを買う話を全開でしているのだが、こんな俺でも【和姦】以外の行為、つまりは相手がポーズではなく、真剣に拒否している場合は絶対にしないと云うポリシーがある(偉そうに云う話ではないのだが)しかし、拒否はポーズだけで、本当のところは【和姦】に応じると云う場合も結構あるので、この見極めだけは細心の注意が必要なんである。では、この見極めをどの様にして行うかと云うと、簡単に行ってしまえば“キス”する際の態度や表情を見抜くことに尽きるのである。例えば、初めて会った女性の場合、いざキスをしようと云った雰囲気になった時、約三分の一の女性は軽く拒否する。しかし、これは儀式のような場合であることが結構多く、再度抱きしめると、身を任せてきてくれて甘いヒトトキが始まったりする場合が多い。では、本当に嫌がる女性はどうなのかと云うと、再度抱きしめると“身を硬直”させつつ“暗い表情”になるのである。この態度が確認されたときは絶対に、その先へと進まないようにしている。それは、ここから先に進んでしまうと【和姦】ではなくなってしまうからだ。それに相手がその気ゼロの場合、セックスをしても感情が冷めてしまい、お互いにとって気持ち良い訳がない。中には、この様な態度も“儀式”のひとつで、実のトコロは【和姦】に応じるつもりだった女性も居るのだが、この態度を取られると、俺の気持ちも、その時点で萎えてしまうので、後から相手のリードでキスをされたり、それこそフェ●チオをされたりしても、一旦冷めてしまった感情はなかなか回復しない。閑話休題皆さんも御存知の通り、俺はセックスが大好きだ。三度の飯よりも好きとは流石に言えない年齢になってしまったが、基本的にセックスは好きだ。こんな俺を社会は不貞だとか不道徳だとかと云うのだが、俺自身は、それほど悪人だと云う意識がなかったりする。しかし、こんなセックス一辺倒だった俺でも最近は異性に対する思いも変わりつつあるのだ。その原因は、ずはり“娘”なんである。最近は娘達が愛おしくて仕方がないのだ。なので性欲などと云う俗的な気持ちなんかより、もっと高尚な愛情が俺の中で芽生えてしまったのだ。娘は本当に可愛い。今すぐにでも抱きしめてやりたいしキスもしたいし一緒にいたい。そして4歳児の娘には実際に毎日そのような行動をとっている。二十歳の娘にもしたいのだが、彼女は現在“広島”に仕事で2ヶ月ほど出向しているので出来ないのだが、実際にしようとしたら殴られるのも目に見えているので、彼女には行動を起こさないようにしようと思う。なので、ここ最近のおれは、この気持ちが常に最優先となってしまう為に、性欲の代表である【和姦】までに至る行為に対する情熱が、どうしても欠けてしまうのだ。愛と云うのは奥が深いものだとつくづく思う。そして愛の種類も多彩であり、しかも一度に数多くの愛を手に持つことは不可能だと最近になって気付いた。人間が持てる愛の数は両手の数だけなんである。しかし、俺は股間に愛を引っ掛けることのできる“フック”を持っている。なので、確かに持てる愛は2個だけなのだが、夜な夜な街に繰り出し、愛を引っ掛けに行くのである。それが最近は出来ない位に両手に持つ愛が重たくなっているだけなのだ。さぁ頑張って、もう一度、両腕を鍛え直さなくては!!