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tartaros  ―タルタロス―

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2009.06.29
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カテゴリ:読書
 福沢諭吉「学問のすゝめ」(岩波文庫)読了。

 「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言えり」の文言で始まる、超有名な啓蒙書である。福沢諭吉がどんな人かと問われて、「一万円札の人」とした答えられなくとも、この著書の存在を知っている人は多いのではないかと思う。
 冒頭に挙げた一節のみを読むと、万人の平等を説いている書物のようにも思われる。事実、俺も昔はそうだったのだが、これはそこまで単純な主張ではない。「学問のすゝめ」というタイトルが示しているように、これは明治の日本国民に対して学問に励む事を奨励する啓蒙書なのである。
 自然状態における人類は、根本的に平等である。
 だが現実世界を見渡すに、貧富や貴賎の差が確実に存在している。それは何故か?
 ひとえに、その人に学問が有るか無いかによるのだと説く。学問を身に付けて自らを高からしめることにより、人の一生は変化するとして、学の必要性を主張する。
 
 けれどもここで注意しなければならないのは、福沢が「学問」という広い括りの中で、明確な線引きを行っているということである。言うならば、世の中の役に立つ学問を「実学」、役に立つことが少ないであろう学問を「虚学」と分類している。実学には、文字の書き方・算盤の稽古といった基礎的なものから、地理・歴史・科学・経済といった、本格的な学問の装いをまとったものまでが含まれる。ただ、闇雲に知識のみを身に付けるのではなく、それがいかに世の役に立つかということを彼は重視する。端的にそれを表しているのが次の箇所であろう。


「我那の古事記を諳誦すれども今日の米の相場を知らざる者は、これを世帯の学問に暗き男と言うべし。経書史類の奥儀には達したれども、商売の法を心得て正しく取引をなすこと能わざる者は、これを帳合の学問に拙き人と言うべし。」(学問のすゝめ 二編)


 また、「論語読みの論語知らず」という言葉を用いてもいるが、要するに福沢が求めた者は知識と行動が一致した状態へと日本人を啓蒙することだったのであろうと思われる。それには古い時代の認識から離れ、新たに優れた思想や知識・技術を体得することが重要だ。彼が儒学的な思想や主君に忠義を尽くして死んだ武士に対して批判を加えているのは、そうした理由がある(後者に関しては相当な非難を浴びたようだが)。
 当時は江戸幕府が倒れ明治の世になってはいたが、まだまだ西洋列強よりも日本が劣っていた時代である。だからこそ福沢は一刻も早い日本の発展を促そうとしていたのである。だが、本書で説かれている思想の中でもう一つ特筆すべき「独立」の精神の存在を忘れるべきではない。小さきは個人、大きは国家に至るまで、彼は日本が「独立」の精神を保持し続けることを求めた。然るべき学識を身に付けた上で、むやみやたらに他をあてにしないインディペンデンスの気慨をこそ求めていた。
 中でもその意思が強く込められているのは、西洋の学問を学ぶことについて、それを必ずしも絶対的な肯定から離れた視点で説いているという点であろう。西洋の優れた学問は積極的に取り入れるべきであるが、西洋文化の中には善い面だけでなく悪い面もある。西洋の繁栄に憧れるあまり、その悪所にまで影響されてしまっては巨大な損失である。
 日本魂を以て西洋の学問を身に付けるという「和魂洋才」なる言葉が、明治期の日本では重んじられたというが、まさに福沢の考えはこれに則したものだったのではないだろうか。


 福沢諭吉の思想は、単に人類の平等を訴えるものでもなければ、知識のみを身につけよと主張するわけでもない。むしろそれは単なる前提であって、重要なのは身に付けた学識をどのように実用に供するかという点である。そのための意識改革であり、啓蒙書としての「学問のすゝめ」なのである。
 人間は、高等動物としては甚だ不完全な状態で生を享けるという。
 生まれたばかりのとき、他の動物とは違ってその性質がほとんど定まっていないからこそ、その後の環境や努力次第で精神や能力が左右されるともいう。
 然るにこの啓蒙の書は、明治の世のみにあらず、現代においても十分に通用する余地があるはずだ。自由を享受することのできる状態にあって、個人の運命を定義するのはやはり個人なのだ。たとえ国家という観点から離れた個人的な観点であっても、この歴史的ベストセラーは多分に示唆するものを蔵しているように思われる。


 








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Last updated  2009.06.29 23:15:01
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