カテゴリ:美術館・博物館
去る9/29に見に行ってきた、
名古屋市博物館で開催の 『兵馬俑と古代中国展』。 名古屋市博物館 ![]() 『兵馬俑と古代中国展』 ![]() 秦の始皇帝は 紀元前202 年、 戦国時代につくられた小さな騎馬俑は、 第一章以外は撮影OK。 他の展覧会が、 撮った写真が多くて 載せきれずに中断してるけど(苦笑)、 コレはそこまで多くないほどほどの枚数なので、 前後編に分けて載せていく予定。 ^ ^; ![]() 兵馬俑が 9体展示という豪華な展覧会。 6年前半まえに 東京で見た兵馬俑展と ほぼ同じ規模かなあ。 まああっちの方が、 会場が広くて 圧巻だったけど。 レプリカの兵馬俑を ドーンっと展示してあって、 あれが迫力だったのよ。 確か。 あの展覧会との違いは、 この展覧会は、 秦の始皇帝の兵馬俑だけでなく、 他の時代の兵馬俑とも 比較していること。 視点がなかなか面白い。 ^ ^ 第一章 統一前夜の秦 -西戎から中華へ 紀元前770年、 周王朝は洛陽に遷都し、 次第にその権威は失われました。 すると各地で、 有力な諸侯―斉、楚、魏、燕、韓、趙、秦―の七国が独立し、 しのぎを削る時代に入ります。 約550年続いたこの群雄割拠の世が、 後に言う春秋戦国時代です。 本章では、 東方の六国から野蛮な国とみなされていた 西方の小国・秦が、 中華統一を成し遂げるに至った、 その道筋を辿ります。 第二章 統一王朝の誕生 -始皇帝の時代 紀元前221年、 秦の嬴政は遂に東方の六国すべてに打ち勝ち、 史上初めて中国大陸を統一します。 政は、それまでの最高の地位であった 「王」を超える称号として、 新たに「皇帝」を名乗ります。 ”始皇帝”の誕生です。 わずか十数年のうちに秦王朝は滅亡しましたが、 始皇帝の墓に眠る等身大の兵馬俑や、 万里の長城といった遺物は、 今なお我々の興味を惹いてやみません。 本章では、 これらの空前絶後の奇観を作り上げた、 始皇帝という絶大な権力者と その時代を紐解きます。 戦馬車 ![]() ![]() ![]() 馬の兵馬俑って見たことあったかな。 長さ188cm、高さ165cmに及ぶ馬の俑。 頭部、頸部、腹部、臀部と、 別々のパーツを接合して作られた。 人間だけでなく、 馬まで等身大に作ってて すごいなー。 本気 ( ?)だな―って思った。 ^ ^; 戦服将軍俑 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 将軍俑は、 現在までに発見されているものが11体しかなく、 そのうちの1体がコレ。 日本初公開。 鎧甲軍吏俑 ![]() ![]() ![]() 鎧甲武士俑 ![]() ![]() ![]() 服装とか髪型とか、 リアルに作られてるんだねぇ。 服装に胡服の特徴があったり、 髪型が秦の一般兵士の特徴であったり。 興味深くて面白い。 立射武士俑 ![]() ![]() 髪型、 一般兵士だね。 ^ ^ ![]() 弓を引く動作も 一体ずつ微妙に異なるとは… ◎_◎; どこまでリアルなんだ~。 スゴイ。 鎧甲武士俑 ![]() ![]() ![]() 鎧甲騎兵俑 ![]() ![]() ![]() この兵、 馬を引く兵なのね。 帽子や服装が、 馬を引くのにいかに適しているのか。 解説が興味深い。 鎧甲軍吏俑 ![]() ![]() ![]() 跪射武士俑 ![]() ![]() ピンぼけして読めんね。 一応載せたけど。 ^ ^; ![]() ![]() ![]() 履物の底に 細かいすべり止めが付いてんの。 黄土高原の土壌は雨に弱く、 滑りやすいためらしい。 ホントに芸が細かいというか、 リアル ! ! 何度も言ってるけど、 リアル ! ! ! これはレプリカ。 そして撮影スポット。(笑) ![]() ![]() コレは 鎧甲武士俑 ? ・・・って、 見た兵馬俑から学習した知識で、 ちょいと復習。 ^ ^; ようは一般兵士なんだよね。 コレ。 服装とか被り物とか。 ディテールに注目すると 兵馬俑も面白いなと。 役職がわかるし、 あと手の形から、 持っていたと思われる武器も類推可能。 武器は木製だったため、 残ってないみたいなのね。 でも手の形からわかる、と。 本当にリアルに作られているため、 2000年以上も昔の中国の風土や文化に ちょっと触れた気がして、 とても興味深く面白かったな。 後編にまだ続きます。 ^ ^ 名古屋では11/6までだけど、 11/22からは 東京の上野の森美術館へ巡回。 興味を持たれた方は いずれかへどうぞ♪ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
November 2, 2022 07:43:28 PM
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