夏草の賦(下)[ 司馬遼太郎 ]
夏草の賦(下)【電子書籍】[ 司馬遼太郎 ]価格:612円 (2021/4/10時点)楽天で購入ふしぎな論理ではあったが、武門でうまれた菜々には、そこまでいわれればよく理解できる。「この理は、土佐人でなければわからぬ」 と、元親はいったが、おそらく土佐人でなくてもこの六十余州に住む日本人の気分にもっともよく適う論理であろう。 ──玉と砕けても、全き瓦として生き残ることを恥じる。 ということばで、後世この心情は説明されるようになった。 唐人や南蛮人には理解のできぬりくつであろう。なぜ日本人にこういう気質がうまれたのか、筆者もよくわからない。あるいは風土によるものか。この国土は台風、地震といった天災地変が多く、わが屋敷、田畑もいつ自然に破壊されるかわからず、このため粘着力のある打算ができぬ気質になってしまっている。そうともおもえるし、もっと民族的なものかもしれない。インドネシア、ポリネシアといった南方島嶼民族には最後には理性をこえた痛烈な行動をこのむ気質があるという。土佐ははるか南から流れてくる黒潮のあらうところであり、日本人としてはもっとも南のほうの民族の血を多くうけついでいる。元親のこのときの論理と決意は、そういう角度からでも見ねば、ちょっと理解できない。 「男は、夢のあるうちが花だな」 「左様な」 ことはございませぬ、と谷忠兵衛はなにか言おうとしたが、元親はかぶりをふり、 「その時期だけが、男であるらしい。それ以後は、ただの飯をくう道具さ」