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カテゴリ:園芸
中日春秋 (書写) オスロ合意和平の筈も野分かな 敵同士のイスラエルのラビン首相とパレスチナ解放機構(PLO )のアラファト議長が握手した1993年のオスロ合意。ラビン首相は 当初、家族をパレスチナ側に殺された女性に米ワシントンでの調印 式への同席をお願いしたという▼アラファト氏は殺害を命じた指導 者。女性はイスラエルの空港に姿を見せたが、同行はできないと断 った。「あの男の手は握れません」と涙を流し「でも首相、あなた が私の使者なのです」と言い、和平を支持したという(竹田純子訳 『ラビン回想録』)。怨念を抱きつつ政治に希望を託そうとした人 は当時たしかにいた▼秘密交渉をノルウェーが仲介したオスロ合意 から 13日で30年。パレスチナの自治から始め、エルサレムの帰属 や難民の処遇などを解決し、最終的に二つの国家を共存させる計画 だったが、破綻したと言われ久しい▼ラビン氏はユダヤ教右派の青 年に暗殺された。和平を志向する中道や左派勢力はイスラエルで衰 退。和平どころか、パレスチナの反発を招くユダヤ人入植地が拡大 した▼パレスチナの側も分裂し、イスラエルとの武装闘争を掲げる 勢力が伸長。衝突は絶えない。恒久和平のために真剣に仲介の労を とる国さえ見当たらぬのが、近年の現実である▼ラビン氏はオスロ 合意の際「血も涙も、もう充分に流しました」と演説した。充分な はずなのになぜ止まらぬのだろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2023.09.12 05:05:03
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