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聖セラフィムの証拠「聖なるかな、聖なるかな、聖なるであることは、主の元に来ることができる」

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2020.09.28
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カテゴリ:スピリチュアル
劣位の神の右側は、明るく軽く穏やかで優しさに満ち溢れ、澄み渡っています。

つまり、右側へ行きたければ、そのような心持ちの自分になればいいのです。

自分を満足させるための刺激や快楽、見返りを追い求めず、他者を思い遣り、尽くし、大事にする曇りなき澄み切った心の持ち主になる。

命も惜しまず他者のために尽くし続けて行けば、人は皆マイナスからプラスへと変われます。
なぜなら、アイオーン=光=愛がそのように、ただただ与え続けるプラスの存在だからです。
アイオーン=光=愛はプラスなので、マイナス=闇を消し去ります。
マイナス=闇を消して心に平穏を取り戻したいと思う人は愛を学び、右側を目指すでしょうし、プラス=光=愛より自分の力を過信する傲慢さを手放したくないと思う人は、プラス=光=愛の届きにくい左側の端で目に見える人や物にしがみつき、崇め崇められ、驕り高ぶりながら生きて行くでしょう。

皆、自分で選択しているのです。





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Last updated  2020.09.29 11:22:26
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