ついに手に入れた!~『桓檀古記』
最近また『ホツマツタヱ』のことなど書いたり読んだりしているからかもしれない。この週末、ふっと立ち寄った古本屋で、何かおもしろいものはないかと眺めていたら、目立たないようにして『桓檀古記』が置いてあった。前からほしいと思っていた書物だが、何と言っても値段がはるので、いつも先送りになっていた本だ。ふっと手に取って値段を見ると何と、1,800円とある。んなバカな! と思って中身を調べてみると結構な美本で、正に私が欲しがっていたその本なのだ。こんなチャンスは二度とないと思い、衝動買いである。『桓檀古記』は『ホツマツタヱ」同様知る人ぞ知る書物で、基本的には朝鮮半島の古代史を記したもの。いだきしんさんや高麗恵子さんがよく話して下さる高句麗の真の歴史のことなど、この本に詳しく書かれている。この書を紐解けば、単に朝鮮半島と言わず、これまで中国を中心に事実とされてきた東アジア全体の歴史観が大きく変わってしまう本で、例えば、日本で言えば、この本に書かれてあることを真実とするなら、天皇は朝鮮半島から来たことになり、日本の国土での発祥、ないしは天から降りてきた、というような皇国史観はあっさりと崩れてしまう。それだけに日本でも朝鮮半島でも隠された書物となってしまった。が、見方を変えれば、そこに記された人物たちの業績や理念、理想、といったものの素晴らしさ、偉大さに触れることができ、自分たちがそうした偉大な人物の末裔であることに誇りを覚え、どんな困難にも打ち勝つ元気と強さとを取り戻すことができるのだ。この『桓檀古記』と『ホツマツタヱ』、それに以前話した『契丹秘史』などの書物は、個別には偽書の扱いをされることが多いのだけれども、実は共通する世界観がそこにはあり、鹿島曻さん流の解釈をするなら、それはユーラシア大陸全土にわたる壮大な人と人との交流と発展のドラマ、歴史となるのだ。日本の歴史とはこの島国の中にいた人だけが作ったわけでも、またその人たちだけのものでもない。こうした大きな歴史観に触れる時、私たちは人間というものの存在の素晴らしさ、自分が今ここに生きていることの意味を改めて実感するのである。(※『桓檀古記』の具体的内容については、じっくりと読み進みながら、ここにポツポツ書いていこうと思うのでお楽しみに。)