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2023年03月18日
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カテゴリ:歴史・文化
宇宙論はうふぉ論議だが、天文学は、見える対象の論議。
 つまり見えてる限りの現実がどうのこうのという、自然学である。
 宇宙論は、うふぉ論議のほう、つまり形而上学への誘導なのだ。

 遺伝子なども、もとは形而上学が生んだ満足に見えてないもの。
 高性能望遠鏡で宇宙の果てまでが見えるようになって。
 この世界、いろいろ激震。
 
 ビッグバン理論と合致しない宇宙の果てがいっぱい見えて、大騒ぎしてる。
 今後はプラズマ宇宙論が主力になるんだろうが、それも所詮うふぉ論議。
 ダメ論議だと言いたい。
 言うとるオイラがダメなんだが。

 プラズマが、わからんうふぉなのに。
 わからんもんで、それで宇宙論やって、どないすんねん。
 昔やった、エーテル論議みたいなもんジャロ。

 おいらは自然学は、ド素人である。
 子供の頃は、先生の言うウソを指摘する宇宙マニアだった。
 じつはオイラの上の兄が、お月さんのクレーター研究の博士だった影響。
 要らん天文知識をいっぱい持った、オイラはダメ坊やだった。

 ダメな宇宙論も身近にあった。
 兄も、本当は宇宙論やりたかった、と言ってた。
 親父が哲学書いっぱいそろえて、やりたそうだったので、食えんゾと言われた哲学を選らんだ。
 息子は心理学をやりたいと言ったが、これはオイラの嫌いな形而上学。
 軍用利用されて使い捨てされるし、さらに食えんなりそうなので反対した記憶ある。

 太陽の近所で、尾を引く彗星の尾の方向というのは、天文学。
 これは、太陽風や太陽の重力と、尾の成分の粒子が持つ慣性の法則とどっちが強力かという問題なんだろうが。
 小学校の先生では、重力しか念頭に無かったようで。
 「太陽の方向に尾を引く」と、子供にウソ教えてた。
 太陽風を教えてあげて、このウソ指摘して恥かかせて、恨まれた。
 
 天文学と宇宙論は同じだ、という認識の人が多いんだが。
 実は全くの別物。
 太陽がおいらたちに熱や光を恵んでいるだけでなく、宇宙線で攻撃し、電磁波で絡めとり、重力波や未知のナニカで深く関係してることなどを観察するのは天文学。
 そのうち風邪の流行と太陽活動の関係が見直される日が来るかも。
 宇宙論は、その力関係や形容を、オルガノン化したい三つ目論議なのだ。

 宇宙が命の営みと似ているといったり、多次元宇宙があるだの、ダークマターという未知の物質があるだの、反物質のナゾ、電磁波のナゾを言うのも宇宙論の分野。
 実は言ってることが矛盾なブラックホールも。
 宇宙論をもとにブラックホールの天文学実験観察は可能だが、日常の共有生活では無関係。

 そう、宇宙論は享有の哲学と似ている形而上学なのだ。
 似ているために、今やコレが、世間から哲学を追放して、哲学に成り代わってしまった。
 日常の共有生活では無関係、なのに大手を振って、暮らしに入り込んでくる。
 なぜかというと、コレの本質が一神教宗教カルトだからでもある。
 宇宙論自体が、そうなのだ。

 ほたら多神教世界観は、どないやねん?
 そないなもん、おまへんて。
 多神教の世界には天文学はあるが、これは素朴な自然学。
 見える、隠れていない、人の認識対象をのみ相手する。
 最近は人知を超えた観測機械も使うようだが基本は同じ。
 一意に想定してオルガノンをもとに世界の世界性像を二進法で形成したりは、しないのである。

 それやるのは、一意に思惟し存在にする、形而上学的思惟のみ。
 この形而上学的世界像の危機警鐘は、ハイデガー先生の提唱の延長だが。
 ナチス(積極的キリスト教)による、この警告は無視され消された。

 今日はすでにAIによる、この形而上学的世界像のマトリクス化が、実現する現代。
 危機は現実と一体化してきた様相、すら見せる。
 対策を立てるべきである。

 宇宙がバーチャルであるのに、それを微分、積分のデータベースだと囲い込むのがマトリクスだが。
 この根にあるのは一神教形而上学カルト、おまけにサイコパスが使うメタバシスゆえなんだと認識すべきだ。

 天文学は自然学(感性による、かくれてない対象認識の学問)だが。
 宇宙論、心理学、神学は、三位一体の宗教カルト。
 これは史学から見ても、過去から、滅びへの道として機能してきた過去があるのだ。
 ハッチが、アッシリアが、ペルシャが、ローマが、そしてハザールがそれで滅んだ。

 地にある享有の自由、自然の露な精霊の変身物語。
 そして宇宙は。
 これらはコスモスの秩序ではなく、ウロボロスな人の感性なのだと、オイラはみなす。
 郷に入れば郷に従うべき、ご先祖様の知恵なのだと。
 Dの意志なのではなく、ごく最近、反芻して見いだされた、生き延びた縄文の共有の知恵なのだと。





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最終更新日  2023年03月18日 11時20分05秒
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