テーマ:BAND-MAID(5)
カテゴリ:クラシック
自作曲の発表をするようになってからの、BAND-MAIDの楽曲創作パターンというのは、メンバー各々の抱く曲のイメージをまとめ、それに沿った旋律とリズムセクションの元曲をカナミさんが作り、ミクさんが歌詞をつけたうえで、各部門ごとにブラッシュアップして完成していくというのが、もっぱらだったようです。面白いのは多くの場合、歌詞はミクさんの名前で上がっているのに、作編曲はBAND-MAIDと表記されていることで、言い換えれば創作の過程で、かなりの改変修正が行われていることを想像させます。
このあたり、元シンガーソングライターとしてのカナミさんは、あまりこだわりがないというか、むしろそうした他の手にかかる改変修正の過程を楽しんでいるフシがある。「じゃあミクさんの歌詞だって他の手が入るんじゃないの」という話になりそうですが、どうもそういうわけではないらしい。 これも自作曲を作るにあたって、誰が作詞するかについて、当初みんなの持ち寄りで決めようということになったらしい。で、結果的にミクさんので行こうというか、他の皆さんのに比べて(書いてこない人もいたのではないか?)サマになっていたということではなかったか?彼女は多くを語りませんが、各作品のタイトルや歌詞を見ればお分かりのとおり、かなりの文字フェチというか文章好きを感じさせる言葉つきであって、これはちょっとほかの皆さんにはマネが出来ないな、と思わせる部分があったのではないかと思うのです。 それについてまたまた妄想がわき起こるのですが、四年ほど前にエイプリルフール企画として、ミクさんの発案でBAND-MAIDならぬBAND-MAIKO名で出した「secret MAIKO lips」。じつはこれ、その一年ほど前にリリースした「secret My lips」の替え歌で、歌詞も全編京都弁という念の入れよう。メンバー全員京都とは縁がなさそうで、これを収録するまでのサイキさんの(すごい)顔が思い浮かびますが、それはさておき、ミクさんは昔からの京都ファンであった由。しかし彼女の言うところの京都ファンとは、たぶん上っ面の観光京都ではなく、かなりディープな穿った入り方をしておられたのではないか、という疑いが私の頭にはよぎるのです。 とはいえ、このHVの出来映えはと言えば、おそらく京都人にとっては、はなはだ噴飯ものだったろう。着物は何やらいやにカラフルで、ちっとも上品じゃないし(失礼!)、だいいち背景が浅草寺と東京タワーでは、誰だって怒ってしまいますよね。要するに外国人が喜びそうな仕上がりなのです。当初から海外を意識したバンドとは言うものの、こういう安手の観光案内みたいなのはやめてもらいたい。 と思いきや、その一年後には本格的に現地ロケを敢行して、今度はBAND-MAIKOオリジナルの「祇園町 "Gion-cho"」をリリースして、こっちは冗談じゃなく良く出来ているのです。ミクさんの入れ込みようは、ことほどさように尋常じゃない。彼女を引き付けてやまない京都というのは、うわべのきれいな街並みや神社仏閣ではなく、容易に本性を現さない京都人のエートスにあるのではないか? なぜなら京都という街全体が、先ほどの紫式部じゃないですが、私に言わせると、いわば「韜晦した都市(倒壊じゃないですよ)」だからです。このよそ者に容易に本性を現さない土地柄というのは、一千年以上日本の政治文化の中心であり続け、であるがために、政争がらみの内紛や外部からの侵攻で、何度も焼け野ヶ原となった洛中の住人にとっては、それが生き延びるうえでの甲斐性とならざるを得なかったのでしょう。しかし別に京都でなくても、一般に人はよそ者には警戒しつつ、その様子を遠目でしばらく窺うものですが、京都人はそういう無粋なそぶりは一切しない。積もりに積もった重層的な文化と、極度に洗練された習俗の蓄積で、来るものは一見誰も拒まない。 しかし本質的なところで、洛中の人は他者と自己を峻別しているので、それに気づいた京都ファンというか、例えば下宿学生(特に女子)などは、数年経つと一変、たいへんな京都嫌いになって、帰ってしまうという仕儀になるのです(京都市の若手人口が、なぜ減るのかって当たり前です。女子が居つかないからですよ)。 まあこのあたり、かなり大げさに喧伝されている部分なしとはしないですが、「京都嫌い」を立て看板にして、逆京都宣伝にいそしむ洛外の学者さんもいらっしゃるわけです。このうわべ「はんなり」中「真っ黒」という、極度に洗練されたエートスというのは、ミクさんの立ち居振る舞いにピッタリはまるじゃないですか。もちろんミクさんは「はんなり」でも「真っ黒」でもないのですが、自身をメイド衣装にくるんでパッと隠しおおして、世間が誤解しながら、こっちを見る様子を面白がっているというような。 したがって、はたから見ると、「この人何を考えているのか、サッパリ分からん」ということに(とくにサイキさんなど)なってしまうのです。それを見越してかどうかは分かりませんが、インタヴューとか人前に出るときは、ミクさんはサイキさんと必ずいっしょに出ておられる。メイドキャラのパフォーマンスは、いくらでも自分が引き受けるにしても、メインヴォーカルはやっぱりバンドのでっかい立て看板ですから、いつも前に出てもらわないと、ということでしょうか。サイキさんはそのあたりの呼吸に最近慣れてきたか、女王様然とした立ち居振る舞いは相変わらずですが、以前に比べてメイドパフォーマンスに積極的になって来たような気がする。ご本人は「ミクの唄いかたが、だんだん私に似て来た」とおっしゃってますが。 それにしても最近、ミクさんはミサさんには作曲を、サイキさんには作詞をさかんに勧めているらしい。この人の深謀遠慮というか、「世界征服」への大構想は止まるところを知らないという感じですね。初期の作品で、このバンドの未来を予見したような傑作「REAL EXISTENCE」を、やはりライヴヴァージョンで聴いてみましょう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2022.11.13 17:29:28
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