執着
少し前の話になるが、引っ越しをした。大阪のマンションを引き払って、今は住民票も岡山(実家)にある。まさしく立派なニートになってしまった…。仕事は無事に辞める事が出来、引っ越しの準備や保険の切り替え等諸々の手続き、そして家族旅行に興じている間に、あっという間に一ヶ月がたってしまい怠けていたという実感すら無い。それにしてもニートは過敏だと思う。ワード・エクセルという転職活動において最も潰しの効きそうなものが一切出来ない私は、独学で少し勉強していた。(本当に少しだが)しかし恋人に「そんな事しても無駄だよ。」と言われ、私は泣いた。単なる言葉の綾で、「実践で使うのはごく一部の機能なんだから入社してから学べば良い。」という意味だったのだが、私は日々を曖昧に生きていて、それらが日常で唯一「努力」と呼べる事であった為、全てを否定された気持ちになった。自分でも、くっだらないと思う。仕事をしていたらこんな事では泣かない。むしろ怒る。分かりたくもないが、「職に就け」と言われただけで親を殺すニートの気持ちが少し分かった気がした。「働いたら負け」と言って疑問を持たずニートでいられる人間は、実はごくわずかなのかも知れない。大半は、「このままでは駄目だ、でも…。」と思いながら生きているのではないか。そしてなんとか自分の現状を肯定しようとしている。だからこそ唯一の存在意義(あくまで自分の中での)を責められると激しく脆い。これがきっかけと言う訳ではないが、明後日から大阪に戻り、就職活動を始める事にした。2,3ヶ月、貯蓄の続く限りは思う様にやってみて、それで正社員が無理ならアルバイトでもやろうと思う。悲観しない様にしたい。退職した所でネガティブの方向が変わっただけの様に思うが、辞めた事は一切後悔していない。大阪で再就職を希望しているのに一度実家に戻る事は周囲からも色々言われたが、私はこれで良かったと思っている。大国町の危険な土地柄もとても愛せなかった。(当たり前。)最寄り駅で人が刺されるわ変質者が出るわ、私自身がたくさん嫌な思いをしたし、一年半住んだ家に未練も何も無し。そして何よりも、自分の持ち物を整理出来た事が大きい。荷物を片付けながら、学生時代に焼いた写真をポートフォリオにまとめ直そうと思っていたのだが、久し振りに作品を観て余りの下手さに愕然とした。焼きも撮影も。いま目が肥えた訳では無いだろうから、学生時代に周りが見えていなかった事を痛感した。そして社会人経験のある人間が、学生時代の作品で転職しようとしていた未熟さを反省した。お陰様で、二年近く持っていた印画紙や薬品を一気に処分する事が出来た。卒業してから一度も使っていないのだから、今後も使う事は無いだろう。大学生の頃にバイト先の、元日本画コースの先輩が、妊娠して結婚するので画材一式を後輩に譲っていた。悲しい事だと思っていたが、今思えば、これからの自分の人生を確実に選んだ、男前な英断だ。学生時代の自分に執着しながら生きていくよりずっと良い。私は長らくかっこつけていたと思う。才能もなければ努力もしない怠惰な人間なのに変なプライドがあって、読まないクリエイティヴ系の雑誌や、使わない画材に囲まれて、自分を保っていた。なんとなくアートに造詣の深い人間だと。勿論お洒落な物やかわいい物、写真も好きだが、今後は趣味として付き合って行く。再就職が決まらず苦悩する事だって充分に考えられる。でもこれから私は私らしく、裸一貫で威風堂々と歩いていく。無職なのに偉そうな日記でした。画像は大阪で住んでいたマンションの廊下の壁。虎柄。来訪者を震撼させるすごいセンス…。部屋の内装はイケてたのだが…。