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カテゴリ:演劇
■パルコプロデュース作品、WowWowで初見。堺君人気でチケット争奪戦も激しかったと聞く。この番組の扱いも最初のインタビュー映像からして、完全に堺雅人主演作品という触れこみ具合だった。ま、私もそういうターゲットではあるのだけれどね。
■先日放送された山田太一ドラマと同じく星野真里と堺君が共演、テーマも介護問題という事で偶然の一致が重なった。父親役は前田吟で、彼のセリフは観客にしか聞こえていないという設定が面白い。要するに、母の7回忌に集まった彼の家族たちは、彼が何も聞こえず、何の反応も示さないと思いこんで、彼の周りでそれぞれの思惑を言い合うというドラマなのだ。 ■堺雅人は私にとっては、今でもなお山南敬助のままである。いったい彼の山南がなんでこんなに尾を引いているのかを考えてみた。それは群像劇の中で彼の存在が際立っていたからこそだという気がする。何も彼が特別異色だったわけではない。でもその存在を彼自身がことさら丁寧に演じたからこそという気がする。凛とした佇まいや物腰、歩き方、走り方、セリフのイントネーションに到るまで微に入り細に入り、考え尽くされた成果だったんじゃないかと思う。 ■このドラマでの堺君は3人兄弟の末っ子、ふたりの姉に頭が上がらない30過ぎで、いまだにニート君という設定である。実際の彼はこっちの方に近いのではないか。もちろん時代劇と現代劇の差はあるけど、自分に近い気分の者を演ずることの方が難しいのではないかという感想を持った。どうなんだろう、役者の性ってわからないけど、多少エキセントリックな人物を演じる事の方が楽しいし、膨らむのではないかな。あまりにリアルな自分自身と向き合うのは嫌じゃないのかな。 ■わがままで娘や息子たちのことを無器用にしか愛してあげられなかった父親が寝たきりになって、感情を表すことができなくなってしまったその周りで子供たちが自分に対しての嫌みや家庭に対しての不満を言っているのを黙って聴いていることしかできないという罰。彼らに対して何かを言ってやりたいのに、何も伝えられないでそこに寝ているだけという罰。けっこう厳しいテーマなのに、辛辣な言葉の応酬もあるドラマなのに、なんだかほんわかとしたムードに包まれて終わるのはなぜだ。 ■私が演劇に求めるものは非日常なのだなとつくづく思うわけです。この芝居、家族の物語です。男と女が出会い、結婚し、子供ができ、家を創る。色んな失敗をし、関係を修復し、その自分の創った家庭というものをしみじみと値踏みする。どうも、こういう基本的な部分は興味の対象外です。創ることに関してあまり積極的になれない。どう壊すかの方にこそ興味がある。そういう自分を確認したわけです。 ■でも東京物語にあれだけ揺さぶられた私がなんでこの芝居に無反応なのか考えてみる。それは悪意の描き方の違いかもしれない。この芝居で描かれる悪意は多分に意識的なものであるように見える。でもあの映画で語られるものって人が自然に持っている悪意、つまり意識下の悪意だったんじゃないかな。それ故、無常観みたいなものが漂っていたように思えるのだがどうなんだろう。 ■結局私はこのお芝居の良き観客ではなかったようだ。リンク先のうずまきさんがとても素晴らしい劇評を書いておられます。そちらの方がこの芝居について的をえているように思われますので是非ご覧になってください。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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