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カテゴリ:演劇
■2ヶ月に渡るロングラン公演、東京、大阪ときて明日が落日。その一日前の舞台の生中継。WOWWOWに入っていて本当に良かった。私はこの日のために加入した知人を何人か知っている。
■冒頭、三谷自身が挨拶に現れる。そこで披露された二日前の生瀬のエピソード(セリフのない1分間に急いでトイレに駆け込んだ)はおそらくこの人の作り話だ。さっき放送された「チューボーですよ!」のリモコンの話もそうだが、この人のつく仕組まれた嘘のセンスは寺山修司の創作と似ている。できあがった作品の印象は似ても似つかないものだが、この二人の資質は意外に近いものがあると見た。 ■自分の中での今回の芝居への期待はあの作品がどのように脚色し直されるんだろうかというところにあった。初演から20年近く経って、日本でも裁判員制度が始まろうとしている現在、あの当時彼が予想した近未来の風景はどの程度、軌道修正されているのだろうか。 ■しかし、見終わって驚いているのは、全くと言っていいほど、話の筋が変わっていないところだ。陪審員1号から12号まで、人物設定の変更は一切無し。物語の進行も揺れ動く彼らの心の動きもあの時のまま。これは一体どういうことなんだろう。 ■結局、三谷はこの物語に絶対の自信を持っているということなんだろうな。すでにあの時、この制度の日本における実施を予言していた、と見るよりも、こういう状況で人間は、日本人はこう考え、こう行動するだろうという視点に一点の曇りもないということなんだろうと思う。たとえば法務省がひとつのテキストとしてこの芝居を国民に見せるつもりだという新たなリクエストがあったところで、彼にはそのために旧作に加えるリアリズムなんて何も思いつかなかったのではないか。何も直す必要もないほどこの曖昧な日本人論は核心をついている。 ■ゆえに、見るべきものは役者の妙なんだろうな。かつて陪審員2号を演じた相島一之はいかにも奥さんに逃げられそうな利己的なサラリーマンに見えた。しかし今回、その同じ役を受け持つことになった生瀬勝久はそういう神経質な気弱な男性像からは遠く離れた奔放なイメージを持っている。それを2時間という時間の中で、本当にそんな男に見えてしまうような芝居を彼がしてしまえるのかという興味。それは小日向さんにしても、温水にしても、12人すべてに言えることだ。 ■映画版では上田耕一(3号)、二瓶鮫一(4号)、林美智子(10号)など人物設定の実年齢に近い俳優を当てはめて、それぞれが、こんな人あんな人をリアルに演じていたように思う。しかし、今回は誰がどの役をやってもおかしくないようなほとんど同年代の役者たちを揃えている。そこで要求されるのは本当にそんな人に見える様に演じなければならない彼らの技量だと思う。実際出演者が発表された時、私が予想した配役で当たったのは舞台初出演という江口洋介の11号だけだった。石田ゆり子のセリフではないが私には人を見る目があったはずなのに、三谷に言わせれば「あなたに何がわかるというのだ!!!」ということになってしまうわけだ。 ■つくづく役者は大変だなと思う。2時間あまり、全員が舞台に出ずっぱりの一幕劇。あっちに動き、こっちで喋る。よく覚えているものだ、そしてよく間違わないものだ。情状酌量、計画殺人、執行猶予、正当防衛、この種の四文字熟語は言葉にしても意味がただちについて来れない。きっと誰かがどこかで言い間違えているんだろう。若花田、貴花田ネタは案の定、朝青龍、琴欧州に代わっていた。もう少し公演が遅かったら、ホリエモンも姉歯もヒューザーもどこかで顔を出していたに違いない。公演中に大きなネタが起こるというのも旬の作家にとっては考えもんだな。 ヤクルトじゃなくてジョア・喫茶丹波淋・温水のグールドのような低い椅子・居酒屋大自然・ワクワクお見合い広場・浅野さんの柔軟体操・ドミソピザ・鈴木宗男の似顔絵・あがり症だった江口君・そしてジンジャエール。 そうか、生瀬はヘンリーフォンダでもあり、リー・J・コップでもあるわけなんだな。この複眼的脚本に拍手! ■文句なしに面白い芝居に違いないが、今ひとつ満腹感がないのは、おそらくテレビ鑑賞のせいだろう。江口君の吸っていたタバコの匂いや彼が落としたお盆の「ガッシャーン」という音、そして温水の汗、生瀬の小芝居、甘栗太郎の香り、そんな一体感無しではこの芝居の魅力も2割引になってしまっても仕方がないところだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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