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カテゴリ:演劇
■PAPAPAPAPAPAPAPAPAPAPAPA、PARCO歌舞伎見参♪!♪ この出だしの音楽が耳から離れない。ただしこの和風なオケピの方たちは今回なぜか舞台の上の方の位置で正座されているのだ。
■出たがりの作者が劇が始まる前にまたマイクを持って出てきて客席に聞くわけだな、「歌舞伎を初めて見に来た人は手を挙げて下さい」と。おそらくその数はかなり多かったのだと思う。では「歌舞伎は何度も見ているが、三谷作品は初めての人」と聞いてみれば、それはおそらくほんの少しの人数しかいなかったのではないか。これはひとつの様式としての三谷劇であり、普段歌舞伎鑑賞を趣味としている人が見に来る芝居ではない。 ■「オケピ!」で彼が試したものに比べれば、この堀部安兵衛のお話はより多くの制約(約束事)に縛られる芝居になるはずである。しかし、こうでなければならないという歌舞伎の様式を逆に普通の時代劇に取り入れることによって、結果的にはより多くの見せ場をこしらえることができた芝居になっている。 ■出不精な私は相変わらずこの日もWOWOWでの観劇となったわけだが、歌舞伎の作法に則ったこの舞台をテレビで見るということの複雑構成にちょっと違和感など覚えてしまった。つまり、この様式では舞台袖の「木」によって演じるものが浮き上がるという手法がとられるわけだが、TVカメラは丁寧にその表情をクローズアップして見せてくれるわけだ。もともとそれを見るために想像力を働かせること、ないしその手法の原理を身につけることが歌舞伎の作法ならば、テレビ中継においてもそれこそ定点観測風の映像でなければならなかったのではないか。超初心者が言えた義理ではないが、なんかそんなことも考えてしまった。 ■役者さんたちはアスリートだなと思う。あのよく通る声にしたって並みの腹筋ではないと思うし、バタバタ走っても息の上がらない後半、10秒で着替えなければならない早がわりなど、ワンシーンワンシーン、カットが入る(テレビの)芝居とは全く別種の体力が要求される。だから性格俳優が存在しないんだ。ちょっと嫌な奴が出てきにくい。歌舞伎役者はみんないい人だと思う。 ■連日そんな舞台で鍛えているからこそ、彼らがたまに出てくるドラマの芝居にはまた別の魅力が見えるんだな。古畑のゲストを思い出してみよう。みんな印象的な犯人は歌舞伎役者さんじゃなかったっけ。染五郎、勘太郎、亀次郎、若手3人がやはりすごい。特に現代口語のやけっぱちのセリフ回しなんかの迫力が違う。長い手紙を一気読みでまくし立てる染五郎のかっこよかったこと。 ■三谷は相変わらず有頂天だな。個人的には歌舞伎に対する彼なりのオマージュとして、彼の芝居の中ではボーナストラックにあたるものだと思っているが、これだけ連日連夜スタンディングオベーションが浴びせられているということは、非常に多くの人がこの作品を評価しているということでしょ。その半分が役者さんたちに対する拍手だとしても、そういう物語を作れてしまう能力はやはり三谷自身の技量なんでしょうから。 ■舞台が始まる前にTシャツGパン姿の勘太郎君が歌舞伎風味で演じてくれた寸劇、「ケータイを落としてしまった男」がとても印象的。せっかくこの国に生まれたんだから、もう少し古典芸能にも興味とか示さないとな、なんて思いました。 PS ■そういえば高田馬場にはしばらく行っていないなぁ。駅前のビッグボックス、早稲田松竹、喫茶店らんぶる、雀荘みよし、まだあるんだろうか。そうか、あの時の彼女と決闘したのもこの町だったっけ・・・。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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