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カテゴリ:演劇
■三谷幸喜のバックステージものといえば、「ショー・マスト・ゴー・オン」や「オケピ」がある。本番上映中の舞台裏で繰り広げられているドタバタや悲喜劇が流れる時間とシンクロさせることで、ハラハラドキドキさせながら見せる芝居であるのだが、どちらもその表や上で演じられているはずの本体の芝居自体はえらくつまらなく、ぞんざいなものとしてしか描かれていない。今回の話の本編もまた子供向け変身モノみたいな原始人、宇宙人、アメリカ兵、農民なんでもアリのおふざけコメディテレビ番組みたいだ。
■芝居の中にもヒエラルキーがあるとすればエキストラとはその最下層に属する人たち。新米ADからもモノ同様に扱われ、俳優に自分から声をかけるなんて事は御法度で、ましてスタッフに口答えなんかもってのほかだ。君たちは背景に過ぎない。下手に存在感なんか出してくれては困るんだ。 ■そんな生活感、存在感を出してはならないはずの10数名の人物に、細かい設定を書きくわえて描いた人間ドラマという見せ方が三谷らしい。エキストラ経験何十年かのベテラン、元高校教師、元地下鉄職員、不倫中の男女、高齢の妻とその夫、プロデューサーとできているらしい女、そしてカメレオンのようにどんな役でも瞬時に対応してしまうエキストラエリート。 ■角野さんの元教師に人権擁護と権利闘争という観点からものを言わす役柄をあてはめたところが巧い。彼が必死になって覚えた農民その1のセリフが連呼されることで喚起されるイメージがすごく効果的だった。「ここはお前たちの来るところじゃねぇ、さっさと出ていきな」 ■逆に職場では労使交渉の場に立ち会ったという経歴の持ち主である伊東四朗の、それを全く引きずらない軽さはまるで職人芸のように無意味だ。彼にスポットが当たり、なにか物語に新しい展開を加える一言を期待していると、ことごとくそれは肩すかしに終わる。これは作者とこの日本を代表する喜劇俳優の間に深い信頼関係なくしてはできない描き方だと思う。 ■偏見かもしれないが、B作の怒鳴りちらす芝居はあまり趣味ではない。それゆえ彼が演じる転落する役者の悲哀も3割引。ただ彼が語った映画「タイタニック」におけるエキストラの芝居の見事さについてはちょっと聞き惚れてしまった。 ■何十人もの人物が登場する群像劇においても終盤のクライマックスを経て、まき散らされた様々なピースが見事に収束し、人間万歳型のハッピーエンドに持っていく三谷の劇風が今回はちょっと違う趣を示している。 ■いつもと違うのは微妙に暗い影を感じさせる部分。それは何人かの登場人物が途中退場し、まして劇中、人の死が描かれるところにあるからかもしれない。死んでしまって初めて与えられた役柄が死体役。その亡骸に向かって「硬くなるなよ」って声をかける同僚のセリフは最高のブラックジョークだと思った。 ■全体的にうるさい芝居という印象が拭えないが、かなり知的に構成された新しい三谷幸喜が堪能できた。ぜひとも再結成されたサンシャインボーイズでの再演を求む。その時は存在感のない彼の役は小林隆をおいて他にないだろう。 PS ■サードディレクターの彼、どこかで見たような顔だと思ったが、なかなか思い出せないままずっと見ていた。あ、そうだ、まいど豊だ。例の長い槍を持ってヒキ笑いしない現代劇での彼は、ただの二枚目にしか見えず、ちっとも存在感がないのであった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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