|
カテゴリ:演劇
作・演出:宮藤官九郎
出演:松尾スズキ、池津祥子、伊勢志摩、宍戸美和公、猫背 椿、 皆川猿時、荒川良々、平岩 紙、少路勇介、星野 源 宮沢紗恵子、宮藤官九郎、古田新太 06年11月11日池袋サンシャイン劇場での公演をWOWOWで見る。 ■「女がいっぱい死んでいますね」 冒頭赤ジャージの古田新太と青ジャージの松尾スズキ(のテツ&トモのようなふたり)が連呼するセリフである。それでは「女がいっぱい死んでいます」の反対語は何かと考えれば「男がいっぱい死んでいます」ではなく、「女がいっぱい生きています」ということになるのではないだろうか。そう、それがまさにウーマンリブ。 ■ウーマンはマンよりもウーの数だけ面白い。WOMAN-MAN=WO たしかにこの劇に登場する女は女子大生から旅館の仲居さんに至るまで男たちに比べて余分なものをいくらか含んでいるように見えないこともない。ではそのWO(ダブルO)とは何かと考えれば、おかしみとおそろしさのふたつのOなのではないか。 ■なんて劇評みたいなこじつけを書こうとすればいくらでも話をふくらますこともできそうだが、所詮こじつけはこじつけに過ぎず、この芝居の本筋からどんどん遠ざかっていってしまうばかりだ。それにしても登場する6人の女性の存在感、中でも官能小説家松尾スズキの妻役、池津祥子の登場シーンの迫力ったらなかった。 ■この時期、宮藤官九郎はたしか自身が脚本を書いた「木更津キャッツアイ・ワールドシリーズ」の封切りも控えていたはずだが、あの映画とこの芝居、同じ人が書いたものには全く見えないのはさすがだ。 ■ではどちらが表の顔でどちらが裏の顔かといえば、世間的にはアンダーグラウンドと評されるだろうこちらの芝居の彼のはしゃぎ様の方が頭を使っていない分、彼の本質に近いような気がする。つまり、劇場という狭い空間でしか許されない表現(放送禁止用語、下半身ネタ、どぎつい描写、全裸芝居などなど)を不特定多数ではない観客に向けて発信し、それを不快に思われようが、ドン引きされようが、誰にも迷惑かけずにすませてしまえる無責任さ加減が創作をより自由にさせているんだと思う。 ■見る側も大人計画の芝居に感動や興奮を期待する気持ちは毛頭無い。基本的に期待するのは笑い。それも自分は何に対してどれだけ笑えるのかを試されているような種類の笑いだ。でも今回は単純に松尾と古田の掛け合いに笑う。飴玉という名の刑事良々に笑う。伊勢志摩という芸名に笑う。 ■物語的にはサイコキラー古田新太の役名が塩谷五郎(しおやごろう)となっていて、世のアナグラム好きには最初から真犯人だとわかってしまうところもミソ。舞台美術も旅館の障子をスクリーン代わりに見せてパソコンの画面やらプレイボーイのピンナップやらを効果的に挿入。松尾の書いた官能小説の朗読のバックにはなぜかトラブリュー(漢字が思い出せない)の「ロード」という音楽のつかみもOK。 ■相変わらずとりとめのない感想になったが、宮藤官九郎という人の引き出しの多さに唖然とする思いだ。ロックンローラーとしての彼の趣味がよく出るのはテレビや映画のようなマスに向けて書かれたものよりも、客席に向けて汗や唾が飛んでくるようなこういう場こそふさわしい。何回も繰り返し再生されるようなオリジナルCDではなく、その場限りの一夜のライブみたいな熱狂と渦が大人計画の芝居の真骨頂なのではないかと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[演劇] カテゴリの最新記事
|
|