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カテゴリ:演劇
■10年前にNHKで放映されたのは96年の初演版だったと記憶している。たしかあれは青山円形劇場だった。今回のWOWOW版は98年の再演時、舞台はPARCO劇場にかわっている。これはDVD化されているんですね。収容力という問題はあったにせよ、この二人芝居をじっくり味わうためには初演時のステージ構成の方がむしろふさわしかったのではないか。
■日本中で映画版「笑の大学」を見た人の数はこの舞台版を見た人の何百倍も多いと思う。ただ舞台版を見たことがある人のほぼ半数以上が映画版と比べてこちらの方が勝っているという感想を持つと思う。それは机を対峙して問答を繰り広げる二人の役者の醸し出す緊張感が観る者に容赦ない勢いで伝わってくることに原因があるからだと思う。 ■舞台は取調室のみ、演じるのは喜劇作家・椿(近藤芳正)と検閲官・向坂(西村雅彦)のみ。最初我々は椿の心情に感情を移入して物語を観ていく。劇団の新作を早く作り上げなければならない。できれば穏便に検閲などやり過ごして、稽古を始めなければならない。それにしても今回の検閲官はえらく几帳面な話のわからない人物だな、と。 ■笑わない西村の妙な迫力は斜に構えて相手を射すくめる目つきと、意外に大柄に見える威圧的な体格によるところが大きい。「笑い」を理解しようとしない人物という造型に我々は椿同様、嫌な奴、厄介な奴、堅物で一風変わった奴、という印象を受けて、この人をどうやって乗り越えていけばいいのかという気持ちを共有しながらその後の展開を観ていくわけだ。 ■ところが、第4日目くらいになると、いつのまにか、こちら側が向坂の視点に近づいていってしまうことに気づく。検閲の主旨は充分伝えたつもりだ。時勢が時勢だけに、言葉を選び、軍意も高揚させなければならない。作家と名の付く人ならば、こちらの提示した条件のもと、改稿作業もそんなに難しいことではあるまい。 ■しかし、あれほど、不必要な笑いは遺憾だと繰り返してきたはずなのに、書き直すたびにこの人はその要素を減らすどころか増やしてくる。むしろ変わった奴、頑固な奴、強情な奴はこちらの作家の方なのかもしれない。 ■そもそも三谷幸喜という作家は群像劇を得意としており、幾重にも張り巡らされた伏線を見事に解きほぐしてくれる作風に定評がある。そこにはある特定の作家の主義主張は極力排除されるように気が配られているように見えた。 ■しかしそんな彼には珍しくこの二人芝居のメッセージ色は断然強い。絶対的喜劇宣言ともとれるこんな作品を書いてしまったことに一番居心地の悪い思いをしているのは当の本人なのではないか。 ■すごく失礼な言い方かもしれないが、三谷幸喜には作品で世の中に何かを伝えたいという雰囲気は全く感じられない。ただこの作品における近藤芳正演じる喜劇作家の設定にはたとえそれが本音でなかったとしても、彼自身の姿がだぶって見えてしまう。94年のラジオドラマの段階では自分が後になってこれだけ作品を量産する作家になるとは夢にも思わなかったからかもしれない。それゆえこの「笑の大学」は最も三谷作品らしくないにもかかわらず、彼の代表作なのだと思う。 PS ■近藤にしろ、西村にしろ、こんなに濃密な芝居はこれが最初で最後なのではないか。初演時の近藤の汗の量は尋常ではなかった。それは周囲に観客の目があったからかもしれない。西村には「王様のレストラン」から続く妙なテンションの名残を感じた。今泉を演じた同じ俳優にはとても見えない。 関連日記 映画版の感想 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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