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カテゴリ:演劇
■『ニュータウン入口』 (または 私はいかにして 心配するのをやめ ニュータウンを愛し 土地の購入をきめたか) そう、まるっきりキューブリックのあれである。宮沢章夫作・演出の遊園地再生事業団の舞台をNHK芸術劇場で見た。
■この芝居はまず最初にリーディング公演があり、続いてプレ公演、そして本公演(三軒茶屋・シアタートラム)と段階的に補強され、完成されたものである。そして今回のテレビ版はさらにイマージュと題されたビデオ映像が追加され、より多面的によりテレビ的に物語が展開された。 ■追加された映像にはレンタルビデオ店主役でライダーズの鈴木慶一が出演。この人と宮沢劇の縁は97年の「あの小説の中で集まろう」以来。Tokyo No1 Soulset の曲がモチーフになっていた芝居だった。あの時も慶一さんはよくわからないおじさん役で舞台に立っていた。終演時には毎日違った曲をDJとして流していたっけ。一番前の席で観劇(感激も)した覚えがある。たしかまだシアタートラムが出来たての頃だったと思う。 ■ビデオ映像を加えたことによってますます表現の幅が広がっていたと思う。実際の舞台でも生の役者たちの演技、それをスクリーンに移すライブ映像、あらかじめ撮影されていたビデオ映像が入り組んで混在していた芝居だったのだが、今回の放送はさらにその芝居をパッケージ化して見せる第三者の視点を挿入し、まるで表現の万華鏡といったところだ。 ■ギリシャ神話、石器捏造事件、14才の国、パレスティナ問題、カルト教団・・・。様々なテーマが入り組んで、そのどれかに思い入れのある人から見れば、心当たりのあるセリフがあちらこちらに繰り出されているように聞こえるのだろう。この作家の芝居独特の唐突なモノローグや何度も何度も繰り返される意味のないセリフの応酬も健在。 ■役者は声が命。寝ころんだり、変な格好をしたり、踊りを踊ったりしながらも、登場する人物たちの滑舌はしっかりしている。リーディング公演から数えれば、何十回何百回と同じセリフを重ねている彼らからしてみれば、そのくらい出来て当然なのかもしれない。現代詩のような、あるいはCMのキャッチコピーのような突然朗々と発せられる言葉の力に時として心のここら辺がざわざわしてしまう。 ■物語の全貌がわからない。結局何が言いたい芝居なのかはわからない。あらすじを読んでもよく理解できない。それでも面白かったと思わせるものは何か。あ、今何か大事なことを言ったみたい。あ、この表現はすごく深いことを表しているような気がする。そんな場面が5分に一回は登場するからきっとそう感じるんだと思う。そういえば宮沢章夫のエッセイに「わからなくなってきました」という名の作品があったっけ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008/04/20 01:13:31 AM
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