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テーマ:TVで観た映画(3916)
カテゴリ:映画
■40年前、父に連れられて見に行った映画である。興業記録的に見ても、桁違いの観客動員数。当時の日本人の大多数の人々が何らかの形でこの映画を見たのだろう。
■そして今回BSで40年ぶりに見た市川崑のこの記録映画は、小学生の時の印象とはまるきり違う鮮やかな芸術作品として目に写った。当時映画館でわたしが(そして周囲の大半も)笑ったのは、競歩の選手たちのユーモラスな動きとマラソンで給水所に立ち止まり三杯もジュースを飲み干したある黒人選手の行動だった。しかし、今そのシーンを見て抱く感想はあの時とは大きく違う。あの選手たちの苦悩について思いめぐらす時、あの時笑ってごめんなさいと懺悔したい気持ちだ。 ■選手村建設のために壊されていくビル群から始まり、富士山の麓を走っていく聖火の煙、道ばたで声援を送る観衆のクローズアップ、CGかと思えるほどまだ緑を残した東京(八王子)の景色。 ■いったい何台のカメラが構えられていたのか知らないが、奇跡的なアングルの数々は観客になって選手を見つめる目と選手になってゴールを見つめる目が作品の中に共存している。とりわけ、マラソン競技終盤でアベベを背後から映したショットの右隅に国立競技場の聖火が見えてくるシーンには鳥肌が立った。 ■選手個々人の個性的な動きにもカメラはフィックスし、その集中の儀式をユーモラスに伝える。女子ハードルの依田選手、砲丸投げのソ連の選手たちの神経質な準備運動は映画自体のアクセントにもなっていた。 ■音は全て後付けと聞いているが、そのSE処理の巧みさもまた劇的効果を高めている。陸上トラックをスパイクが刻む音、砲丸が地面にくい込む音、フェンシング選手の靴音、ボート競技の風の音など臨場感を増幅している。 ■音と言えば音楽の使い方も巧みで、女子体操でのチェコスロバキア、チャスラフスカの平均台の演技シーン(40年前はこのあたりで眠くなっていたのだが、今回は俄然この辺で目が冴えた)では鮮やかに画像処理された画面にかぶさるワルツ風の音楽に乗せてそこだけ抜きでた美術品の趣さえ感じた。どこかで見た感覚だと思ったらキューブリックの2001年の宇宙船のシーンととてもよく似ている。ちなみに音楽担当は黛敏郎だ。 ■公開当時は記録か芸術かということで一大論争を巻き起こした映画だと聞いている。あらためて見直して、そのどちらの要求水準も難なくクリアしていると思う。これほど人間の顔が鮮やかに焼きつけられたフィルムのどこが記録性に乏しいと言うのだろうか。何万メートルという膨大なフィルムを編集し、ひとつの物語を創り上げた監督の技術と労力と腕力は並大抵のものではない。黒澤でも今村でも大島でもなく、市川崑を起用した選択は大当たりだったと思う。 印象に残る選手たち ・重量挙げの三宅(バーベルをさし上げる前のちょっと見上げた表情が男らしい) ・柔道のヘーシンク(両手をあげて相手を威嚇する大男ぶりとマナーの良さ) ・フェンシングの某国女子選手(美人。マスクをとって髪をなで上げる仕草にうっとり) ・マラソンのアベベ・円谷(たしかに哲学者のようなアベベと肩肘張った円谷の走りの後ろ姿) ・女子バレーの大松監督(赤いジャージがキュート。けっこう男前) ・水泳のショランダー(わたしにはマーク・スピッツよりも彼の名前の方が印象深い) ■開会式の整然とした行進と閉会式の各国選手入り乱れ騒然となったお祭り騒ぎの対比が見事。閉会式があのような形になったのは係員の誘導の不手際だと聞いているが、あの渾然一体となった雰囲気は強烈な印象を残した。やはりいかなる技法を尽くしてもフィクションはノンフィクションに及ばない時もある。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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