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テーマ:DVD映画鑑賞(14209)
カテゴリ:映画
■体力勝負みたいなところはたしかにある。最初から頭フル回転で隅々まで見落とさないように集中していると、途中でぐったりしてしまい、映画に置いていかれてしまったような気持ちになる。でも、そんなついてこられない人を、あざけり笑うつもりはこの監督には毛頭ない。それは後半の収束が実に鮮やかかつ巧妙で、見逃していたり、誤解していた数々がいっぺんに氷解してしまう爽快さが胸のつかえを一掃してくれるからだと思う。
■それでも、映画館で一回きりの視聴を目的とした映画ではないだろう。面白さを堪能するためには全体像を頭に入れたあとで、2回目、3回目、4回目と見直していくくらいの方がふさわしい。おそらく5回までなら賞味期限を抵触しないだろう。そして、できれば自分で自由に画面を巻き戻したり、一時停止にしたりできるDVD鑑賞の方がより細部までの検討が可能だ。今こうしてDVD鑑賞している人の中で、映画館で見てもう一度見直している人の率は異常に高いと思う。 ■前作「運命じゃない人」以来、トリッキーな作風という意味で内田けんじ氏はある特定のジャンルを日本映画に定着させたのではないか。わたしは博報堂や電通の人間ではないから、うまい具合のキャッチフレーズなど思いつかないが、観客騙しムービーとか、コンゲーム・ムービーとか、とにかく、伏線はりまくり、先入観利用し放題の精神分析映画みたいな凝ったつくりの映画の典型だ。 ■だから、今後、この手のフォロアーが絶対出てくると思う。自分で脚本書いて、シーンの順番を熟考して、最後の最後に全体像が判明するみたいなね。むずかしいのは、その整合性が成功したからといって必ずしも作品に対する感動が伴うとは限らないという事実で、ただ単に辻褄が合えば名作になるというわけではなく、それとともに印象として残るやさしさとか切なさとか苦さとかの感情を揺さぶる何かがあるかないかが大きな問題となるわけで。 ■そういう意味では、アフタースクールにはそのものずばりの放課後感があった。それは下駄箱経由の帰り道の物語であり、学校を離れた後のひとりひとりの生き方の物語だった。突然開かれる中学校の同窓会には出席してみたい気分としたくない気分が半々。誰々ですって名前を言われても、思い出せない顔があり、遠くからひと目見るだけで30年前のドキドキが一気に戻ってきてしまう顔もある。 ■それらは大泉洋と常盤貴子の見ていた校庭の風景に全て吸収されてしまう。自分が多少変化したとしても、目に写る鉄棒とかバックネットとかサッカーゴールみたいなものから湧き上がるイメージは完全無欠の郷愁に違いない。まして放課後のそれにはそれこそひとりひとりの思い出がたっぷりとしみこんでいるはず。そんなものがエンディングでmonobrightのテーマ曲が流れるとパーッと浮かび上がってくる。 PS ■防犯カメラに映ったエレベーターのシーンの真相は必見。あそこでまた堺君ファンはメロメロになると思う。そうか、女心をくすぐるのは「ホットケーキ」か。メモメモ。ちなみにわたしはこの映画の常盤貴子にメロメロでした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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