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カテゴリ:真田丸
■方広寺の釣鐘の件は小学生の頃、「まんが日本の歴史」で読んだことがあった。あの事件に片桐殿があんなに関わっていたのかということはこの回で知った。家康という名前を切り離したことが呪詛にあたるというのは、もってまわった難癖に過ぎない。終盤、信繁が息子に切って集めた任意の漢字一字を選ばせ、幸の字と合わせて見せるという手法は明らかにこの言いがかりを皮肉っているようにも見える。
■村という文字が九度山村という単語からの一字だったのなら、その他に彼の書いた言葉は幾つくらいあったのだろう。40話まで見てきた私たちにとっては「船出」から始まって前回の「歳月」まで78個の漢字を思い浮かべることができるが、たとえば主人公が「幸福」という名になるというような奇跡は全く用意されていなかったことがわかる。 ■かくして真田幸村ができあがった。それが息子が引いた一字で完成したように見せながら、実のところはその前夜のきりの言葉がその発端であり、これまで彼が関わってきた様々な人々からの一言一言が彼の行く末を決したのだとする描写は実に納得がいく。 ■あなたはまだ何事も成していない。これまで彼のしてきたことは戦国時代にあってはごく普通の男の子の物語に過ぎず、何百年か後に大河ドラマの主人公として描かれる何ものもない。だから彼女は背中を押す。こんな所で一生を終えてはいけない。自分の幸せしか考えられない男は歴史に名を残せない。 ■今回、いわゆる回想という形で登場した人物は正規にクレジットされたキャストの数より多かったのではないか。秀吉のナースコールの鈴の音と共に信繁の頭の中に駆け巡った人物たちとそのセリフはこのドラマの脚本家が知恵を絞ってこの日のために書き残してきた珠玉の言葉たちだった。 ■宮藤官九郎なら有働アナウンサーに「最終回かよ?!」って突っ込みを入れさせるような過剰な回想シーンの連続技を見て、三谷幸喜らしくないと感じたのは私だけだろうか。大坂城を望む聚楽亭の庭の三成の桃の木からその実が寂しく落ちている映像にそれを見ている者だけが何かを感じ取るという無言の余韻を数多く残す手法を得意としてきた彼があれほどはっきりと人と言葉を回想という形で重ねていくのはちょっとずるいのではないか。 ■ともあれ彼が豊臣に加勢しようと決心したのは秀吉と三成の存在が大きい。駄目押しは昌幸の遺言だ。戦はそれほど好きではない。軍を率いた経験がない。それほど人望があるとは思えない。囲碁も知らない。それでも彼は来週入城する。きりが言ったようにはったりでもいいか。父の戦場の奥義も手元にはある。たとえそれが○や△や×ばかりだったとしても、なんとかなる。とりあえず○を六つ並べてみよう。そして好きな色は赤だ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2016/10/09 10:23:15 PM
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