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カテゴリ:真田丸
■冬の陣を完封勝利で終えたはずなのに、豊臣の世の中に流れていく気配が感じられないのは、徳川家康が敗者には見えないからで、結局真田信繁たちが目指していたのは勝ち点3を取ることではなく、ずっとこのまま勝ち点1を積み重ねて敵の戦闘意欲が枯渇するのを待ち続けることでしかなかったということなんだろう。
■和睦。なんとも平和的で魅力的な言葉であるが、もしも、あの場で徳川と豊臣が互いの肩を叩き合いながら握手を交わしたとしても、両者の力関係は必ずしも五分五分ということにはならなかっただろう。征夷大将軍は秀忠であったとしても、いまだ実権を握っているのは親父様の方であり、マザーコンプレックスがいまだ抜けきらない秀頼公があの狸親父と対等に渡り合えるとは思えない。つまり、豊臣側からすれば和睦という名の敗戦でしかないのだ。 ■だから信繁は全力でそれを阻止する。この戦に勝つために大坂城に請われてやってきた男にとって、この寄せ集めの弱小チームを戦国の世に残留させることが至上命令であるわけだ。そのために時に総大将に意見をし、時にその母親までをも両手を差し出し懐柔する。なんでそこまで豊臣に義理立てしなければならないのかは秀吉と三成と刑部がどれだけこの物語の中盤を動かし続けていたのかを振り返れば納得もいく。 ■しかし、敵方の助っ人は西洋の大砲である。エルドレットであり、バースであり、エムボマである。いくらこちらがパスを繋いでゴールに迫っていっても、彼らの一振りにはかなわないのである。その射程は大坂城の天守閣。堅牢な城も創意工夫の出城も砲弾の直撃にはなすすべもないのである。かくして城は崩れる。自分がその下敷きになるかもしれないという恐怖、そして予感。 ■私たちはきっと同じ日に死ぬ。史実を逆算すればそれが予言としての効力すら持ち合わせていない明白な事実なのだが、茶々の本心はすでに城という場所で最愛の息子と最愛の人と共に去ると決まっていたのだろうか。残り数回になったこの大河の結末は茶々と信繁の物語の終章でもある。そんな二人の間に長澤まさみがどのように割り込んでいくのか見届けたい。 PS ■2019年度の大河の脚本が宮藤官九郎に決まった。オリンピックを巡る近代ものということで山田太一の「獅子の時代」を彷彿とさせる展開に期待。またチーフ演出も井上剛ということで「あまちゃん」スタッフ再結集。きっと音楽も大友良英に打診中だと思う。そして私の期待する主演候補は森山未來、瑛太、松田龍平、長瀬智也、二宮和也、阿部サダヲ、星野源。さらに女優陣の中に改名なんかする前の能年玲奈が是非入っていて欲しいところだ。3年後くらいにまだ楽しみがあるって、この年になるととても素敵なことだなと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2016/11/20 09:05:28 PM
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