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高岡は奈良や飛鳥と並ぶほどの「万葉集の故地」なのです。それは万葉の歌人としても知られる「大伴家持」が越中国守としてこの地(現伏木)に天平18年(746)~から5年間在任しており、彼はその間にこの越中の豊かな自然や風土・人情に触れて越中万葉歌220余首を詠んでいるからなのです。今回はその縁を機縁として又、「万葉集」に関心の深い全国の方々との交流を図る為の拠点として平成元年10月に高岡市市制100周年の記念事業の一還として「高岡市万葉歴史館」が開館しました。この記は歴史館の恒例の行事としての平成26年度「越中万葉故地めぐり」に参加して「旧能登の国」に行っての見聞録ですよ。(昨年の11月30日に25年度の「砺波郡のバスツアー」に参加しブログにも載せてあります) ”季春三月九日、出挙の政に旧江村(ふるえむら)にいかむとするに作りし歌「磯の上のつままをみれば根を延へて年深らし神さびにけり」の歌碑”を横目にバスは能登を目指しました。参加人員は横浜や七尾からも参加がありあとは近郷の者との50人です。(参加料¥5000.含む昼食・入館料・資料代・旅行保険込)・バスは往時の「布施の海(汽水湖=淡水と海水の湖)」跡の旧江村の農道を行きます。この地の村小字には地名の語源がアイヌの語が多いんです。例えば布施はアイヌ語でフッセ(浅い)の意です。当時は日本海海流に乗りアイヌとの交流が盛んだったとのことでした。(ガイド曰く)石川県境に入り家持が歩いたであろう道の・・見たであろう豪族の古墳の探策にも寄るのです。まず散田金谷の古墳です。地元散田の豪族の墳墓とかで構造の説明を石板を読むにとどまるのみ。フムフム。。
円墳で中にも照明施設あり頼めば点けてくれます。
盗掘は逃れられないですね。。 程なくして、「志乎神社」に・・来ました。
鳥居の横に家持の歌碑「しほの山さしでの磯にすむ千鳥君が御世をば八千世とぞなく」あり。・・なんでもこの社殿の上の山に家持の別邸?があつたとか云々で紀元2600年に建立されていました。
社殿はすっぽりと囲われています。変わった造りですね。社の戸締りと雪対策の得も兼ねてとか。この神社の別名は「鍵取明神」といいます。毎年10月の神無月には、能登の神々も出雲へ出かけられますが、志乎の神様だけは留守番となり、鍵を預かって能登国内を守護なさるといわれています。しかし留守をするのはこの社の主神でなくスサノオノミコトが留守を預かり「鍵取明神」。 なんか~ガイドさんの説明を聞くのが見るよりの仕事だったよ・・ 早く能登の外浦の海が見たい~~。 つづく
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