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カテゴリ:詩、散文 創作物語
誰でもが知るであろう 物語や、神話など、時々人間の心理を無視したりする
深読みする必要もないのだが 日本の浦島太郎の玉手箱 ギリシヤ神話のパンドラの箱 二つの物語に共通するのは 開けてはいけない箱を 開けてしまうのだ 渡されたら「好奇心で」、開けてしまうのだろうに 「もしかして開けない人」も」いないわけではないと思うが 人との対話の中で他の人には「言わないで」と念を 押した話しが、いち早く他人に伝わってしまうかのように いいや、まてまて 話、物語の構成は 渡された「箱」は 必ず 開けてしまうと言う 前提の上で 作られているから 「好奇心の心の動き」は 人間にかなりの自制心が働かないと 「開けるのが当然」と思っているのだろう 天邪鬼な私は思う 「好奇心」が湧かない 湧いても「好奇心」の心を押しとどめたら どうなったか、何て考えるのは 多分 私ぐらいだろう。 浦島太郎は、おじいさんになつて 何処に住んだの パンドラの箱の中に残ったもの「希望」 おじいさんの老後が心配だ 著自然の狩人 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006年07月28日 23時18分00秒
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