カメラ紀行「南極半島クルーズ11日間」序文
バスは、ウシュアイアの港の海浜公園に到着した。ここから南極半島クルーズが始まる。波止場に停まる船が目に入ると、自ずと歩が早まる。大きな標識が建っていた。そこには、「USHUAIA」と白抜きで記されていた。その文字の下に、少し小さく、「fin del mundo」と書かれている。辿々しく「ふぃん、でる、むんと」と口ずさむ。「世界の果て」に来た実感が湧いた。ウシュアイアは世界最南端の町を標榜する。南緯54度48分 西経68度18分、アルゼンチン南端、フエゴ島に位置する人口約64,000人の町だ。「さい果ての地」は、世界に何カ所かある。そのうちの幾つかを訪ねたことがある。どの「さい果て」でも同じように、地平線の果てまで続く海を見せられて、「遂にここまで来たか」と感慨に浸ったが、この地に立ってそれがない。「さい果て」に来たのなら引き返すのが常だが、ここは出発点だからだ。この先の地の雪と氷の白い大陸に、ペンギンやアザラシ、海鳥たちが悠然と棲む楽園が広がっているのかと思うと心が躍る。南極半島クルーズへの参加を決めたのは、一昨年の秋だった。そんなに早く決めたのか、と思われるかも知れないがそうではない。クルーズは昨年2010年の1月に催行される予定だった。ところがこの年、準備万端整った出発の数日前に突如、アクシデントの報が入った。乗船予定のクルーズ船が、我々の前のクルーズ中、ピーターマン島で座礁事故を起こして、急遽チリに帰還してドック入り。修理には、数ヶ月間を要することになったというのである。一年の殆どが氷に閉ざされる南極で、からくも氷が溶けて、クルーズ船の航海を受け入れるのは、夏季のわずか2カ月ほど、12月と1月でしかない。やむなく1年延期となった。幸い今年の出発前には、良からぬ知らせが舞い込むこともなく、1月12日深夜、予定通り関空を発った。その時には既に、クルーズ船が前の航海を終えて、ウシュアイアの港で我々の乗船を待っていると聞いていた。今日1月15日。今その船を目の前にしている。間もなく1年越しに、待ちに待った乗船の瞬間がやってくる。ところで、私は何故、南極に行こうなどと思い立ったのだろう?ことある毎に私は、南極半島クルーズに参加することにしたことを、何人かの知友人に告げた。そのとき異口同音に返ってきた言葉は、「何故?」。しかも時に「何て物好きな」という表情が見え隠れすることさえあった。自分には少なからず、不相応に高い旅費の工面以外には、何の戸惑いもなく南極行きを決めた私だ。改めてその理由を問われても答えに窮する。仮にも私のような凡人が、「そこに南極があるから」と言ったところで、まるでさまにならない。人は旅をするのに特別の理由を必要としない。歳を重ねても、興味と関心を持ち合わせていれば、人は何時でも未知の世界に憧れると思うからだ。しかしそれにしても、今何故南極なのか?それは「滅多に行けないところ」だから。いや写真が目的だから、「滅多に撮れないところ」といった方が良いだろう。そして旅をし、旅の途中で実は、南極を訪ねるもうひとつの大切な意味を知ったが、それが何かは、あとがきに譲ろう。この日の朝は早かった。5時前に起床、ホテルを6時に出発、ブエノスアイレス郊外のエアロパルケ空港に向かった。7時40分離陸、3時間半のフライトでウシュアイア空港着11時15分。バスで町の高台のレストラン「Chez Manu」に行く。中に入ると忽ち、絶景が目に飛び込んだ。鏡のように澄んだビーグル水道が目映い。この地を先住民族ヤマナ族は、USHUAIA即ち“西に入り込んだ湾”と呼んだ。湾を囲む西方の山並みはチリとの国境だろうか?左手にクルーズ船が停泊する波止場が見える。船は間もなく我々を招き入れ、彼方の山間の海峡を越えて南極へ向かう。港の全景をファインダーに納めて焦点を定め、クルーズ最初のシャッター音を響かせた。 ☆エルムのホームページ “苟に日に新たに 日々に新たに また日に新たなり”へどうぞ!