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カテゴリ:聖徳太子の謎
天寿国曼荼羅繍帳の年代測定
・縫い糸=撚糸(ねんし) ・6~7cの金鈴塚古墳(千葉県木更津市)出土の糸と類似 ・法隆寺宝物の繍仏の返し縫い技法と同じ ・建築史家の関野貞氏は飛鳥時代は高麗尺を使用と比定。高麗尺一尺=35.5センチ ・図の男性は袴の上にヒラミをつけている。日本書紀、推古十三年に太子が諸王、諸臣にヒラミ を着用させたとある。(天武十一年には着用が禁止) ・図柄の屋根にシビがある。飛鳥時代作と言われる玉虫厨子や百済扶余郡の窺岩面外里(きがめ んがいり)の画センや敦煌莫高窟296窟の北面壁画にも同様のものが描かれている。隋唐代の 壁画になると消失。 ・鐘の図は六朝時代の鐘 ・亀甲図は中国殷のボク辞に始まる。 ・現在は24字が残 以上の考察より、聖徳太子の時代に製作されたものであると言われています。 ←よろしかったら人気ランキングをクリックしてください。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年09月07日 00時44分10秒
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