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売り場に学ぼう by 太田伸之

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Nobuyuki Ota

Nobuyuki Ota

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2022.08.04
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カテゴリ:ファッション

このランウェイのフィナーレ写真を見て、すぐにブランド名が浮かぶ人はプロ中のプロ、言い方かえれば相当なファッション業界オタクかもしれません。その場にいた私ですが、いま「ブランド名は?」と訊かれても恐らく「言われてみればそうでした」と答えるでしょうね。

私のすぐ目の前の席にいたアメリカの高級百貨店CEOは、ショーがスタートして5人ほどモデルが登場したところで目をランウェイから背け、このフィナーレまでの間ずっと下を向きながら携帯電話をいじっていました。最前列の席でショーに見向きもしないで携帯電話いじりとは目立ちますが、期待を裏切られたという意思表示だったのかもしれません。


2013年3月初旬に開かれた同年秋冬サンローランのショー、デザインはアトリエをパリからわざわざ米国西海岸に移したとされるエディ・スリマンです。携帯いじりをしていたCEOが率いるニーマン・マーカス百貨店は長くサンローランとビジネスを続け、ダラス本店はじめ各支店の富裕層のお客様に絶大な人気があったはず。

しかし、エディ・スリマンが描く新生サンローランはまるで映画「プリティーウーマン」そのもの、買取で取引する高級店にすれば「このグランジをどうお客様に説明するんだ!」という思いだったのではないでしょうか。私も東海岸プレッピーのようなダッフルコートが登場したときは「これはないんじゃないの」とたまげました。

この半年前の2013年春夏コレクション、エディ・スリマンの新生サンローランのデビュー翌日、ブランドのミューズ的存在だった女優カトリーヌ・ドヌーブが現地新聞に「二度とこのショーには来ません」ときついコメントを寄せていました。もちろん、一気にイメージを変えたエディ・スリマンを称賛するエディターも少なくなかったので、業界内は賛否両論でした。3シーズン目の2014年春夏シーズンも同じ路線、パリのエスプリは何処へやらでしたから、ブランドのマネジメント再度はエディのディレクションを指示しているものと思いました。が、結局契約途中でエディは解任でしたね。

ブランドのディレクションを根幹から大きく変えるのは難しい、と改めて感じたショーです。

参照:https://en.wikipedia.org/wiki/Hedi_Slimane





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Last updated  2022.11.04 17:29:23
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